Before Act -Aselia The Eternal-
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アークフレアの同時照射による山道への被害は甚大である。それを最も如実に見せ付けたのが山道の一部欠落。 内側ぎりぎりだけは如何にか人が数人並んで通過する事は可能なのだが、実質的に山道としても機能は崩壊してしまった。 スピリット同士の戦闘にはその程度で障害とはなり得ないが、その後ろ盾にとって大きな障害となる。 戦いはあくまでもスピリットであるが、その後は人間の仕事である。 その人間が欠落した山道を通るために向こう側へと跳び越える脚力と翼を当然持っていない。 ましてや占領やエーテル変換装置調査のために必要機材の運搬に馬車を利用する幅が無い。 辛うじて欠落した箇所の山肌がなだからであるために復旧の目途はつけられる。 それは幸か不幸か、ソーマが狙ったのかどうかまでは流石に判断は出来ない。 それでも黒煙がもうもうと立ち上り、依然として高熱を発している地面を復旧に着手するまでの時間は掛かりそうであった――。 …………… 欠落した山道部分から高熱で膨張した地面がぼろぼろと剥がれ、遥か下の地面へと落下していく。 時には大きな振動と共に大岩となって崩落を起こしていた。 そんな辺り一面が熱によって光を屈折させ、歪んだ視界となって見るもの全てを歪曲させる。 そんな中、欠落した山道の隅。そこにぶら下がる物体があった。 光を反射して上部の山肌へと延びる一本の線。その線の始点には山肌に突き刺さる一本の棒。 『凶悪』である。『凶悪』の半ばまでが山へと突き刺さっており、残りの露出している部分には線が巻きついている。 線は糸であり、小さく揺れて緩みを一切見せずに張り詰めて下へと伸びていた。 その糸の終点にはその糸の持ち主――レイヴンがぶら下がっている。 【相対距離1984。更に離脱。マナ感知領域を間もなく離脱します】 (――そうか) 精神による会話――念話を『月奏』とし、アークフレアを放ったスピリットたちの行方を確認する。 彼は攻撃照射を開始すると同時に瞬間的に崖の下へと飛び降り、直撃を回避。 爆風そのものに少し煽られたがその手に装備している糸を『凶悪』に巻きつけるとともに山肌へと突き刺して落下を防いだ。 ぶら下がる事となった場所は丁度凹んだ箇所であり、その後の熱風を受ける事もなく生き延びる事が出来た。 それでも完全にとはいかず、浴びた熱によってレイヴンの外套は黒焦げとなって最早見る影も無い。 【離脱方向はサモドア。スピリット5名と同行していた人間をソーマ・ル・ソーマの該当データと適合】 「(やはり、か)……生きてるか?」 『月奏』との会話を終え、視線を眼下に向ける。 そこにはレイヴンに身体に張り付く様に存在する三つの物体。 「…生きてるわよ」 「足を少し…」 「大丈夫〜」 各々の返事で返された。シルス・リアナ・フィリスの三人である。 彼女たちは遠距離照射砲撃への反応がレイヴンより遥かに遅れ(時間にしてコンマであるが)ていたために抱えられて飛び降りた。 現在の体勢はレイヴンがリアナを空いている右手で抱き締めるように抱え、その両脇からフィリスとシルスが彼の身体に抱きついている。 これは翼を展開出来無いのがリアナだけである事から考慮されたためである。 万が一にもレイヴンから抱き外して落ちる事があっても、翼を持っている者ならば“落ち死にしない”。 「で、どうするの。この後」 シルスが訊ねてくる。彼女が聞こうとしているのはこの後の動きの事である。 現在のレイヴンたちの位置は山道の直下。高度として何処か滑空して降り立てる場所は遥か眼下。 下に行くにも遠くへ飛ぶにも明確な目的地が必要である。 「そうだな……お前ならどうする? ――このままサモドアに帰還するか、様子を見るために一旦下に降りるか」 「――あたしは、少し様子を見た方がいいんじゃ…」 味方であるスピリットたちからの襲撃。仲間とは言わずとも同じ国のスピリットから攻撃を受けた事はシルスにとって衝撃であった。 このまま国へと帰るという手段も無くも無いが、このまま戻るのは何か危険である。 「リアナの意見は?」 「――っぁ…」 「リアナ…?」 レイヴンの問い掛けに無反応のリアナ。シルスは脇からそれを怪訝に思った。 いつものリアナならほとんど即答に近い返事が何かしら返ってくるのだが、今は何か小さくうめく声が聞こえる。 先ほどの問いかけには答えていただけに、シルスは少し心配になってリアナの顔を覗き見た。 「!? その血は!!?」 リアナの顔は血塗れに濡れている。正確には前髪の付け根辺りより顔面全体に真っ赤に染まっていた。 シルスはリアナが何かで今負傷したのではないかと驚愕と共に妙な事に気が付く。 血がマナに――金色の粒子となって消滅せずにそのまま滴り落ちているのである。 スピリットの体内から流出した物質は水分などの完全に外物質の摂取物以外はマナへと還る。 金色に発光しているという事は余剰エネルギーも同時に放出されている事を示しており、それによって外物質も空気中で分解されてしまう。 ゆえに流血すれば数瞬後には完全に空間中に溶け込んでしまうのだが、それが起こらないという事はリアナの血ではないという事である。 「――ぁ、レイ、ヴン…」 リアナが瞳を大きく見開いて見上げて呟く。その瞳は大きく揺れており、何かに驚愕している。 シルスはその声にハッとして彼女に視線を追って見上げ、そして同じく瞳を大きく見開く事となった。 「ちょっと、その腕…!?」 顔を上げた勢いでレイヴン自身の身体が大きく振れて振り子のように揺れ動く。 その拍子にシルスとフィリスの頭部にも赤い滴が降り注いだ。 「あまり揺れ動かすな。体勢を維持出来る時間が縮まる」 「――…大丈夫なわけ、それ?」 糸は何かの固定していなければその先端に物をぶら下げる事は出来ない。 ならば今現在、レイヴンが自身の身体をぶら下げるために糸を固定しているのは? それは先ほどシルスが声を上げたように“腕”である。 糸は左手の指先から一旦腕へと何重にも巻きつけ、そして再び掌を経由して『凶悪』へと一直線に巻きついている。 レイヴン一人に加え、まだ幼いとはいえ三人の少女を抱えていれば総重量は大人二人分少し。 糸が腕に、服の下の筋肉を圧迫し、食い込む。そしてそのまま切り裂く事には容易な重さである。 「あまり芳しくは無い。指先は既に骨に引っかかって形を維持している状態だしな。 腕の方もこのままいけば千切れて取れるだろうな」 その左腕から血が止め処なく重力に従い滴り落ち、絡まるように食い込んでいる指は既に赤なのか青なのか判断出来ないほど流血で真っ赤に染まっていた。 腕を覆っている裾は既に糸の巻き圧力で切り裂かれ、完全に皮膚下へと食い込んで血管と筋肉・神経繊維を次々と切り裂いている。 このままこの体勢を維持していれば、圧迫による失血で腕が再起不能となる前に物理的に損失するのは目に見えていた。 「やはり戦闘用のをこうして物をぶら下げるのには細すぎたな。試験運用期間が無かったのは残念だ」 「そんな悠長な事を言っている余裕あるわけ!? 人間には治癒魔法や再生魔法なんか効かないのに!!」 人間にはスピリットの様に神剣魔法による加護を受け付けない。 正確にはマナで反応出来るだけのマナを人間が保有していないのである。 スピリット自身の身体はマナであり、エーテルで駆動している。 対して人間はマナを核としているがその殆どが他の物質――主に炭素系で構成し、マナやエーテル以外の物質で駆動をしている。 根本的に人間が神剣魔法による加護を受け付けないため、人間であるレイヴンが腕を失えば再構成すら出来ない。 「ハイロゥを使うな。相手はまだ完全に離脱し切っていない」 シルスがウイングハイロゥを展開して少しでも自重を軽減させようとしたのを制される。 ソーマの連れているスピリットたちはマナの狩人であり、確実に安全となる距離まで離れなければこちらが生きている事に気が付かれてしまう。 「でも、そのままじゃ!」 「不許可だ、大人しくしていろ。フィリスもだ」 「――っ…」 シルスが悲しげに沈黙し、シルスと同じくハイロゥを展開しようとしていたフィリスもシュンとなる。 レイヴンはフィリスとシルスを一弁して抱いて胸の中に居るリアナへと目を落とした。 「リアナ」 「――ぃゃ…」 レイヴンの顔と頭には腕から滴る血の他にアークフレアの爆風を少々浴びて出血をした血が流れている。 リアナは腕を伸ばしてその血を拭うも、新たな道筋を描いて血の水が流れて降りていく。 「――い、や…レ、イヴン……」 リアナはレイヴンの瞳を見詰め、琥珀色の瞳には滴が溜まっていく。 それを確認したレイヴンは少し目を細める。 「シルス。俺の腰の物入れから青と緑の楕円形の小さな瓶を出せ」 「? 何で…?」 「早く」 レイヴンは視線をリアナに固定したままシルスに指示して動かさせる。 シルスはしぶしぶといった感じでなるべく身体を大きく動かさない様にレイヴンの腰へと手を弄る。 外套が短くなっているお陰で視認自体は用意で、腰のポシェットへと即座に手を突っ込んだ。 何度か物を出し入れし、指定された色と形のある瓶を取り出した。 楕円としては少し物入れ用にコップ然とした形であり、瓶の表面に何か読めない文字が刻まれている。 「これでいいわけ?」 「ああ、それを―「いやぁあ!!」」 レイヴンの言葉が遮られる。リアナの突然の叫び声によって。 シルスは思わず手に持った瓶を落としそうになって遥か下へと紐無しバンジーをさせる所であった。 フィリスはフィリスで身体全体で驚き、手を離してしまって足だけでレイヴンの身体に抱きついて落下を阻止していた。 「駄目ぇ!! いや! そんな、死んじゃ…やだぁあ!!!」 「ちょっ、リアナ!?」 「いやぁあ!!!」 「リアナお姉ちゃん、落ち着いて〜!」 リアナがレイヴンの胸にきつく抱き付き、駄々をこねる様に小刻みに揺らしている。 普段から見た目不相応な大人しく冷静であるリアナからは想像も付かない発狂振りに半ば呆然としてシルスとフィリスが落ち着かせようと声かける。 しかし、声を届いていない様で一向に落ち着く様子が無い。 何故、突然リアナがこうなったのかわからない。だがこのままではレイヴンの腕が千切れる時間が極端に短くなっていく。 大きく揺らすのならばある程度大きな圧力は筋力の反発で幾分か抑えられるが、小刻みだとそうはいかない。 既に食い込んでいるために小刻みの糸がさらに食い込んでいけばそれは摩擦でさらに切り裂いていってしまう。 現にある程度、彼の血が凝固して出血が抑えられていたのが再び滴る血の量が増加していた。 そして腕の筋肉表断面がより露わになってシルスたちの眼前に晒されている。 「シルス。それの中身をリアナに飲ませろ」 「飲ませろったって…」 頭を振っているリアナの口に瓶口をつけさせる事は難しい。 ましてや今は宙にぶら下がって揺られている状態。それまで動きを加えるのにさらに難しくしている。 上を見上げてレイヴンの指示を仰ごうとしたシルスだが、目に映る滴ってくる血を見て言葉は出なかった。 人間とスピリットとの自己治癒能力の差はあまりにも違う。 ゆえに腕を激しく損傷すれば直るまでにかなりの時間を要し、最悪の場合使い物になり、腐敗する。 視界の先の端に映る赤ともピンクとも言える料理に出てくる新鮮な肉の断面。 スピリットを切り裂いた際にはより鮮明かつ内臓まで見る事が出来るが、直ぐに金色の粒子となってしまっていた。 なのでこうして血を、肉を、ズタボロとなって吊るされている様な腕を見せ付けられて吐き気が込み上げて来る。 「…はぁっ――」 慣れているはずだった。これまで同じスピリットを斬ってきて、中身をぶちまけたのだから。 でもそれは自身の認識の範囲に入る前に消滅していたからにしか過ぎなかった。 今、強烈に香る血の匂いは嗅覚を著しい障害となり、視覚による情報が専らの感覚となる。 そんな中で見せ付けられる鮮明な赤。そして切り裂かれている人の腕。 それはまるで自分の腕の様に思えてしまい、恐怖が込み上げて来る。 あれは違う人の腕なのに。何故か自分の左腕が痺れ、痙攣するように小刻みに震えだ―― 「シルス!」 「っ!!」 レイヴンの一喝に、シルスは軽く身震いをして正気に戻った。 消えていた風が吹き抜ける音が蘇り、強烈な血の匂いが香ってきている。 一瞬、自分が何をしているのかわからなかったが直ぐに状況を思い出す。 「っ! リアナっ!」 今も暴れているリアナに対し、シルスは瓶の蓋を口で剥がして中身の液体を口に含んだ。 そしてそのまま強引にリアナの顔を引き寄せて口を合わせて強引に流し込む。 暴れるリアナはシルスの拘束から逃れようともがくが、レイヴンに抱き締められていて思うように動かせないでいる。 呼吸が出来ず、口に流れ込む液体は自身の身体が有している無意識や反射によって食道へと飲み込んでいく。 シルスは自身の口の中の液体が全てリアナが飲み込んだ時にやっと口を離す。 身体が酸素を要求してリアナは少し激しくむせ返り、シルスもケホケホとむせた。 「――ちょっ…! なに、これ…? 苦酸っぱい…!?」 「精神安定剤入りの睡眠薬だ。味より効果を重視している」 ほんの少しの話の間にリアナの動きが小さくなっていく。 即効性のある薬だったのだろう。乱れていた呼吸が大分落ち着いて今にも寝入りそうである。 「――レ…ィナ―」 閉じられた瞳から流れる一筋の最後の涙。 それは既に作られていた涙の軌跡に沿って零れ落ちていく。 「――…」 閉口して眠りついたそんなリアナの顔を見ているシルス。 彼女は先ほど意識を少し手放していた事を思い返し、そして思案する。 おそらくリアナもあれと同じ状態に陥り、そして何かに恐怖したのだ。 それは失う事への恐れ。レイヴンの腕が失う事からレイヴン自身の死に直結させてしまったのかもしれない。 腕を失った程度でこの人間が死ぬはずも無いが、意識が制限されている中ではそれを判断する事は出来ない。 ましてやリアナは血をまともに浴び、誰よりも近い位置でレイヴンの腕と血が流れる顔を眺める事が出来ていたのだ。 「――あ、れ…?」 シルスは自分の視界がぼやけ、両目も焦点が合わない事に気が付く。 頭がふらふらとなって思考がままなら無くなる。何が起こったのかまだ動く頭で原因が思い当たった。 口移しで飲ませた睡眠薬。殆どをリアナへと流し込んでも、幾分かは自分の口に残っていたのだ。 「お前も寝ておけ」 何か声が聞こえたようだが、もう既にシルスはそれを判断できずに眠りについた。 レイヴンに抱きついていた力が完全になくなり、仰向けに落下しようとしたのをフィリスが片手で抱きとめる。 「〜〜…ぅに〜!」 神剣を加護を受けていないでいるフィリスは慣れない体勢での片手で支えるのは少し酷で、如何にか今は踏ん張っている。 レイヴンはレイヴンで脱力した人を支えるのは先ほど以上に難しくなっているのでリアナを抱き止めているので手が貸せない。 【ソーマ及びそのスピリット群。相互マナ感知領域より完全に離脱しました】 そこで丁度『月奏』からの伝達が来て、小さく頷いてフィリスを見る。 「フィリス。シルスを抱いてしっかり俺の身体に掴まっていろ」 「うにっ!!」 返事をしてフィリスはシルスをしっかりと抱きとめてレイヴンの身体に張り付いた。 それを確認したレイヴンは上を仰ぎ見る。黒煙を上げて山道から立ち上る量は依然として変わらない。 その下で山肌に突き刺さっている『凶悪』。そしてそこから伸びている糸。 ――ビッ… そんな糸が半ばから割ける音を発し、それを徐々に鳴る間隔が短くなっていっている。 見た目自体細い糸であるが、実際には糸は裂けていっているのであった。 「やはりまだまだ試行錯誤が必要だな」 エーテルを組み込んだ糸はかなりの強度と有している。 だが、先の度重なる戦闘で幾つものオーラフォトンを突き破ってスピリットの身体を切り裂いていた。 エーテルを組み込んでいたのだから、当然オーラフォトンに干渉すれば突き破るためにエーテルを消耗していく。 そして消耗した箇所の糸は強度が著しく低下し、切れ易くなっていく。 今まさにぶら下がっている糸の半ば部分がそうであり、千切れてレイヴンたちが落ちようとしている。 それは幸いであり、腕が千切れて落下する前に落ちる要素が先に来た――喜ぶべきなのか…? ――ブツッ! 糸の振動を通じて糸が千切れる音がレイヴンに伝わると同時に一瞬の浮遊感の後に落下を開始した。 フィリスはシルスを強く抱き締めて堪え、レイヴンはリアナを胸に落下先に障害物が無いか下を眺めている。 重力に沿って落下速度をぐんぐん上げていく中で、レイヴンたちの姿が消え去った。 その場に残されたのは青く透き通るような幾ばくかの光の粒子。 それはまるでマナの強烈な生の印象を与える粒子よりも柔らかく、暖かな印象を与える粒子であった――。 …………… ………………… 「―――」 目がゆっくりと開き、ぼやけながらも始めに映ったのは淡い青。 未だに目を閉じて眠っているのではないかというぐらいに暗い中での淡く青い光。 それが視界内に満遍なく広がっており、全身に感じる冷たさが嘘のように和らいでいくのを感じる。 ぼやけていたのがようやくはっきりとしだし、青の光が暗闇の先に見える天井から発せられているのがわかった。 そして自分が仰向けになって寝転がっている事も。ゆっくりと上半身を起こすも気だるげな身体は重かった。 視線が地面へと向いた事で光を放っているのが天井だけでなく、地面からも放たれていた事がわかった。 この空間に存在する全ての遮蔽物には光を放つ要素――マナが含まれている。 これほどまでに澄んだ空気、そして肌で感じられる体感温度でではない温かみ。 頭が半覚醒であったためにそれに気がつかなかったのには少し悔いた。 「起きたか、シルス」 ぼけっと光を放つ壁の何処までも暗闇の空を眺めていた少女――シルスの傍らから声をかけられる。 別段これが初めてではない急接近に驚くことなく顔をそちらに向けた。 「ええ、おかげさまで。それで……ここ、どこ?」 傍らで外套を着ずに立っているレイヴンにシルスは訊ねる。 全くの知らない場所で覚醒し、寝る時の記憶が曖昧なために現状説明を彼女は欲した。 「バーンライト領モジノセラ湿地帯中東部に存在する天坑の最深部だ」 「天坑って何よ…?」 「サモドア山脈西部にある地面の大きな穴だ」 山脈西部にある……穴? 穴って、あの山道開拓の際に出没したあの穴? あまりの深さに光すら届かない龍の爪痕へと繋がっている入り口と言われているあの『龍痕(りゅうこん)の裂け口』の中? 「何でそんな所に今居るわけ?」 シルスは状況がよりわからなくなってしまい、もっと詳しい説明を求める。 そう言えば、自分の発する声が反響しているのが聞こえている。 「山道で襲撃を受けた事は覚えているか?」 「ええ〜…っと、確かあれは―――ぁっ!」 山道での襲撃。シルスはそれでようやく思い出し、勢い良く立ち上がった。 味方のスピリットからの襲撃では撃退せずも遠距離砲撃で宙ぶらりんに。 そしてそこでリアナに薬を飲ませて、自分も口に含んだ事でそのまま―― 「リアナは! リアナはどこ!?」 「向こうでまだ寝ている。お前は口内に残っていた少量の薬だったために早く起きられた」 顎でリアナの居る方を示し、シルスはその方向へと駆け出していく。 直ぐ横の壁が開け、一際明るい光が視界に入った。それはこの薄暗い空間で唯一自ら発熱して光を放っている焚き火。 その傍らにはフィリスが布地に包まって寝ており、同じ様な布でリアナも静かに寝ていた。 近づいた頬を撫でてみると触った手には確かな体温の温かみが感じ、それと同時にしっとりと濡れた感触もあったが――。 薬が効いている影響であろう。触られたリアナは身動ぎもせずに寝ており、薄暗い中では生きてるのか死んでいるのか分かり辛い。 「…よかった」 あの時の豹変振りにはシルスは本当に驚かされたため、寝ている姿には安堵する。 「まだ目を覚ますには時間はかかる。今の内に水分補給や腹ごしらえをしておく事だな」 後から追いついたレイヴンが水筒と共に携帯食を投げ渡してくる。 軽くその軌道を見て片手で掴み、水筒の口を開けて少量の水を口に含み。 穴の中の所為でなのか、水が冷たく感じる。 「――あんたの腕。大丈夫なの…?」 左腕の部分の服は既にボロボロであったために裂いたのか肩口から先がない。 そして自身とシルスたちの総重量を支えるために糸を巻きつけ、かなり深くまで食い込んでいた腕は今、包帯でぐるぐる巻きであった。 包帯は常に綺麗でなければならず、それを明確するために真っ白でなければらないのだが巻きつけている包帯の所々で血の縞模様が浮き出ている。 「芳しくは無いな。止血そのものは施したが、切れた神経と筋肉繊維が何処まで再生出来るかは時間が経たないと何とも言えない」 「じゃあ、もう動かないって事も…」 「それは無いな。そのために此処に来たのだから――」 レイヴンは視線をシルスの上方後ろへと向け、シルスもその先を振り返って見ている。 そして硬直。絶句。顔が驚いているのか怪訝に思っているのか微妙な表情のまま固まった。 『今となって気が付くとは…貴様の連れ合いは他とは一味違うらしいな』 「否定はしない」 『しかし、私とて人間の治療など初の試みだ。保障はせんぞ』 人の方向に近い話し声。声を発する度に真下に居るシルスは強風に煽られる。 彼女の目の前上方にいるのはこの天坑に住まう門番――クロウズシオン。 龍など初めて見るシルスはその巨大な黒の身体と金の輝く瞳に茫然自失。つっ立っている。 「それは俺が方法を指示する。シルス、そろそろ現実を認めろ」 「――なんで、龍がここに…」 『この場所こそ私の住まう地であるからだ。妖精はそれが判らぬ程知能が低いのか…』 「…なんですって?」 龍の存在に圧倒されて逃げ腰だったシルスだが、クロウズシオンの一言に眉をピクリと跳ね上げる。 「シルス」 「――何よ」 声をかけられ返事をするが、その声にのは抑え切れない怒気が漏れ出ていた。 レイヴンはそれを無視して話を進める。 「用があって少し此処を留守にする。リアナが目覚めたらお前が対応する様に」 「こんなのと一緒にいなきゃいけないの!?」 自分を低俗呼ばわりするちんちくりんの一緒に居たくないシルスは背後へと指で指して抗議する。 指を指された本人(本龍?)は少し低い唸り声を上げるが別段気にしてはいなかった。 「危害を加える訳ではない――そうだろ?」 『私を滅しようとしなければ、であれば手を出しはせん』 「――だ、そうだ」 「それならそれはいいけど…でも――」 納得の声を上げたシルスは後の言葉を続けようと言葉を紡いだが、口篭ってしまう。 視線をそわそわさせ、口も小さく開閉させて何か悩んでいる。 シルスは少し不安げな表情となり、自信なさ気に今度は言葉を続けた。 「やっぱり、リアナが起きた時にあんたが傍に居たほうがいいんじゃ…」 「それは俺の役割ではない」 即座に返された言葉にシルスは頭を左右に振って否定する。 「あんたがすべきことなのよ。今のリアナにはあんたが必要なの。レイヴンという人間が…!」 リアナは怖かったのだ。自分の大切な人を失う事が。 決して彼が死ぬような目に遭ったわけではないが、今の彼女は疲弊している。 少し前にレイナという大切な存在を失っている彼女の心は疲れ切っていた。 「リアナは死んだレイナのことで哀しんでる。頭では理解してるけど、心までは納得し切ってない」 微笑みかけてくる笑顔は紛れもない本物。 だけど、その笑顔の先に拭い切れない思いが隠れている。 「悔しいけど…あたしにはなにも出来ない。リアナの支えられるのはあんたしか居ない」 拳を握り締め、顔を俯かせるシルス。 長い黒髪が顔を覆うようにかかってしまったために表情はさらに窺い知れないが、身体の動きが彼女のもどかしさを如実に表していた。 レイヴンは沈黙し、クロウズシオンも眼下の出来事を静観している。 「あたしじゃ――駄目なの…!」 髪で隠れた顔から滴り落ちる透明な幾つもの水滴。 シルスは何も出来ない、してあげることが出来ない自分が悔しくて堪らない。 今までだって何度も機会はあった。しかし、その全てが何も出来ず、逆に安心させられてしまっていたのだ。 してあげるべき事を逆にされてしまい、もどかしさは日々募るばかり。 哀れむのではなく慰めるのでもないもっと別の、何かをしてあげたかった。 しかし、それがわからない。思いだけが募り、行動に移すことが出来ないのである。 「それは俺の役割ではないと先ほど言っただろう」 「何でよ! あんたしかリアナを支えられる人はいないのよ!?」 「俺が支えた所でリアナの何に対しての支えとなる? 慰め? 泣き所の提供?――奴はそんなものは望まない」 「そうじゃない…そうじゃない!」 シルスは長い後ろ髪がたなびくほど大きく頭を振って否定する。 リアナはそんなものは望んではいない。それは少しの時間を共にした者だからわかる。 「では何だとお前は言う?」 「…わからない。だからあたしはあんたに託すしか――」 ――パァアアン… 搾り出すようにシルスは言葉を吐き出していた。 何も出来ないもどかしさと託すしかない思いを乗せて。 それは全てを紡ぐ前に途切れた。 ――シルスの頬を叩くレイヴンの右手によって。 「何も出来ないからと、自分では駄目だからと、人に勝手に甘えるな」 叩かれた左の頬に痛みと共に熱さを感じて沈黙して俯くシルス。 今にも泣き出しそうな顔をするも、瞳から滴を流さない。 「……だって、何もしてあげられない――やってあげられることがわからないのよ!!」 シルスは声を荒げて叫ぶ。声が反響して幾度もこの場に居る者の耳へと聞こえてくる。 今まで言えず、溜め込まれていた思いがここで吐き出されていく。 「リアナはあたしには到底持ち得ない強さがある。その強さで自分の悲しみを抑え込んで今を生きてる。 それでも抑え切れない思いに時より表情に出ているのがわかっていてあたしはそれを見ていることしか出来ない。 そんなあたしが嫌で嫌でしょうがなかった! こんなあたしに何が出来るって言うのよ!?」 顔を上げてキッと目の前の人間へと睨むように向けられる。 向けられた本人は相も変わらず平然とし、シルスの言葉を聞いていた。 何を考えているのか計り知れない表情。その口元が開く。 「シルスだからこそ出来る事だ」 そう言ってきびを返し、レイヴンはシルスに背を向ける。 「リアナを支えられるのは俺ではなく、お前だ。 これに関して本当に何も出来ないのは、駄目なのは――俺なのだからな」 支えられると言われた本人からの否定。 背中越しにかけられたその言葉にシルスは目を見開くほど驚く。 「! それってどういう意味…!?」 「自分で考え、そして模索しろ。本当に何も出来ないのかそのちっさい頭で何度も考えてみろ。 お前が…お前自身が本当にしてやれる事を、な」 そう言うとレイヴンは歩き出した。焚き火から離れていくその姿が徐々に薄暗くなっていく。 周囲からの淡い青い光を受けていても、離れていけばその恩恵を薄まって完全に暗闇の中に消えていくのも時間の問題である。 掛けられた言葉に混乱しているシルスに代わり、上からクロウズシオンが声を掛けた。 『腕の治癒もせず、何処へと行く?』 「なに、大した事ではないのでそれは後回しにしておく」 ――とんっ 軽く暗闇に身を包まれてレイヴンは軽く跳ぶ。 高さにしてほんの少しステップを踏んでいるだけ程の高さであり、直ぐに足をつく事になる。 ――シュパァアア…! だがしかし、背中の上部から切り裂くような澄み渡る音と共に青白く細長い翼が出現した。 斜め上へとピンと張り詰めるように伸び上がった翼は背中から生えたすぐの所で即座に折れ曲がり、背負うような印象を与えるように折り畳まれる。 それによってなのかレイヴンの踵はおろか、つま先が地面スレスレの所で滞空している。 展開した翼からは断続的に幾ばくかの蒼い粒子が翼の先端へと導かれるように流れ、先端を過ぎると小雪が舞うようにゆらゆらと地面へと落ちて消えていく。 クロウズシオンはその光景に惑わされず、さらに言葉を続けた。 『して、貴様の用とは?』 レイヴンは視線だけをクロウズシオンへと向け、そして睨みつけるような視線で小さく笑う。 「俺に手を出した者への報復だ」 そう言うと、レイヴンの身体は消えた。その場に蒼い粒子を残して。 クロウズシオンは上へと見上げ、最後に残像としか見えなかった人間の上昇していく姿を見送る。 その先には地上より差し込む小さな一点の光。本当は決して小さくは無いその差し込まれる光の表面積。 今その先へと飛翔した人間はバルガ・ロアーからの遣いか、それとも光の世界へと羽ばたくハイペリアの使者か。 それを知るのは、そう長くは無い直ぐ先の刻であろう――。 |
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