作者のページに戻る




Before Act
-Aselia The Eternal-

第ニ章 バーンライト
第十一話 「 交差する想いと思惑 」



「オヤヂ。酒、一本追加」

「――あいよ」

サモドアのスピリット訓練所近辺にポツリと存在する小さな屋台。
スピリットの訓練は日が出ている時が常であり、夜が更け始めた今の時間帯にスピリットはいない。
ゆえに屋台から立ち上る湯気に、淡い灯火の光が自己主張をしている。

[   ――…changing there's no one left that's real
   To make up your own ending, And let me know just how you feel

   Cause I am lost without you. I cannot live at all
   My whole world surrounds you. I stumble then I crawl   ]


狭いテーブルの隅にある小さな長方形の金属塊からは音楽が流れ、不自然な賑やかさがこのちっぽけな空間に侘しさを一層かもし出させる。
それが逆にこの屋台の雰囲気を際立たせ、出される食事であるおでんの味を身に染みさせていた。

この屋台の亭主である顔色の濃い男は当然あり、客として対面の席に座っているのはレイヴン。
追加注文した酒瓶をコップに注いで一口だけ口に含む。今飲んでいるのはサモドアで一般的に流通されている酒である。
男が仕事帰りに煽る安っぽい酒の事はあって飲みごたえはごわごわしているが、癖になれば結構いける味であった。

「……ふむ。なかなか味わい深いのう」

レイヴンの隣でコップの酒に泳ぐ氷を眺めながらもう一人の客が呟いた。
彼は既に何杯かの酒を飲んでおり、顔が微かに朱に染まっている。
その服装はこの世界では比較的に上等な物であり、それに見合った人物――ジェイムズがそこに居た。

「こんな場所に見るからに怪しげな店を無断に構えるなどとは問題ではあるが――」

そう言って手元の皿によそってあるハンペンをフォークで口へと運び、酒を一口だけつける。
少しの間を空けて一息をつき、レイヴンに視線を向けてフッと笑う。

「私がこうして此処に居るのならば私も同罪であろうなぁ…」

レイヴンはもぐもぐと口の中のおでんを食べ、飲み込むと同時に酒瓶を持ち上げてその酒口をジェイムズへと傾ける。

「この程度の事を気にする必要はない。酔いが回って夢でも見ているのだろう」

「ふむ。そういう事にしておこう」

[   Can you take it all away?
   Can you take it all away?
   Well you shoved it in my face
   This pain you gave to me   ]


量の減っていたコップに注がれていく酒を見ながらジェイムズは同意する。
そしてコップの水面に反射して映る自身の顔を見て、小さく溜め息。
それは今のジェイムズの重い気持ちがジメっと篭っており、その意図を察したレイヴンが彼の肩を軽く叩く。

「私とて時折考えてはいた。だが妻を取るにも今の仕事が忙しくて本当に時間がないのだよ。
ただでさえ戦闘が専らサモドア山道でのスピリットのみというのがいかんのだ。
浮き足出しがちな兵士どもの統率は戦闘にあまりにも借り出されないのがどうしたものか…」

ラキオスとの因縁が長期化し、サモドア山道という狭い空間では完全勝利した時にしか人間の兵は動かせない。
ゆえに兵士達はスピリットの戦闘が始まれば暇が過ぎ、常日頃も重要な仕事でなければあまりにも使えない存在となる。
なので彼らを統率する上官であるジェイムズは日々頭を悩ませていた。

「メノシアスとメラニスが来てくれたお陰で幾ばくかは楽にはなったのだが――」

「ダーツィとイースペリアの現状では、な」

[   Ah...Nobody told me what you thought...
   Nobody told me what to say...
   Everyone showed you where to turn...
   Told you where to runaway...   ]


「山脈の向こうではかなり酷い事のなっているのでは、な。街への兵の繰り出し予定案がのぉ…」

「その上救援のための予定も付加される」

コメカミを押さえるジェイムズ。彼らが言っているのは両国の緊張の最中に発生した天災の事のである。
以前、彼らの中でのみ示唆されていた大地のマナを奪い過ぎた代償が現実のものになっていた。
最も如実な現象となったのが大地の干ばつ。干上がった大地からの作物の収穫は激減し、飢餓が発生している。

そして出生児の減少及び流産の増加に妊娠率の低下が最たる事であった。
両国内で国民は大混乱に陥り、国はお互いに緊張状態を維持できなくなり、戦争は回避された。
だが両国は国内の現状を直ぐに打開させる具体的な案を見出せずに二の足を踏んでいる。

イースペリアはマロリガン方面との繋がりによって一時的に凌いでいるのが現状であり、ダーツィではバーンライトやサーギオス帝国に救援を求めるしかなかった。
サーギオスは周りを小国に囲まれ、距離もかなりあるために実質バーンライトに頼る事となる。
そしてその際に食糧の確保や運搬系統は全て軍が取り仕切る――ジェイムズにその役目を押し付けられたのであった。

[   Can you take it all away?
   Can you take it all away?
   Well you shoved it my face

   This pain ya gave to me again to me...

   Woo...This pain you gave to me...!  ]


「厄介な時期だ。今朝方メラニスの説教をされたのだが、これではまた何か言われてしまうな」

「――致し方ない事だ。今日みたいにジェイムズが一日丸々時間があるのは珍しいとしか言い様が無い。
彼女なりに気を使っているのだろう?」

再度溜め息をつきつつ首肯にジェイムズは頷く。メラニスがジェイムズの事を心配していてくれているのは良く分かっていた。
しかし、その好意が報われない現状に申し訳なく思うしかないジェイムズであったのだ。
そんな彼にレイヴンは空になったコップに酒を注ぎ足す。

「それで? 実際に所アテはあるのか?」

「ぶぼっ!?」

「話の流れとして別に噴く事はないだろう。アテぐらいあれば彼女もそう強くは言って来ないかのしれんぞ?」

「う、うむ。そうではあるのだが……」

口篭るジェイムズ。そんな彼を横目にコンニャクを頬張る。

[   This pain you gave to me
   You take it all away
   This pain you gave to me
   Take it all away
   This pain you gave to me again... …―――   ]


少しの時間コップをユラユラ揺らして思案し、音楽が終わると同時に動きがピタリと止まった。
そして口を開いて言葉を発しようとした時――

「なにほーー!!?(訳:何をーー!!?)

奇声が近辺に響き渡った。発信源はレイヴンを挟んだジェイムズの反対側。
先ほどまで飲んだ暮れた果てに酔い潰れていた人物が何時の間にか起き上がっていた。

「あなたはあらふる面にほいてわはひを上回っているほに今度はけ〜婚まで成ひゅさせるつほりへすか!?(訳:…訳すのが面倒だ)

「ぬ、いや、その――今は特にアテがあるわけではないのだが…」

「ほーへひょ、ひーへひょ!! へっほんなんてね、大変なんへすほ! 妻をとるほね、不満にさへない事が大変なのですよ(訳すのが(ry )

飲み過ぎたために呂律が回っていないその人物はシグル。
レイヴンとジェイムズがこの場所で飲み食いしている所を偶然見つけた彼は突然乱入して来たのである。
初めはこの屋台の事で色々といちゃもんををつけていたのだが――

『………』

『うっ!?』

この屋台の店主であるオヤヂの静かに見据える瞳にシグルは口を閉じる他なかった。
濃い顔による濃厚な視線はジトッとした粘着質であり、それと同時にその手に握られている包丁がギラギラ光っていたのである。
それから沈黙したシグルの目の前のテーブルにオデンを乗せた皿を置いたのだ。

シグルはそのまましぶしぶ席に座ってオデンを口し、コップに注がれた酒を煽った。
そして現状に至る。彼はオデンと酒の味にすっかりと酔い、潰れて復活した今でもまだ顔は真っ赤である。
彼の座っている席の隣がレイヴンであった事は幸いであり、もし彼を挟んでいなければシグルは乗り出すのではなく直接ジェイムズに掴みかかっていたであろう。

「わはひの妻はあまりにもひっほ深ひからほんの少し、ほん〜の少ひ他の女の子と遊ぶほ実家に帰ろうほするんですよ!!」

「……それはお主が悪いのではないのか?」

「仕事で部下の子といっひょにいるだへでですよぉ? 泣かへるとママがせっひょうをふるからもう大変!
今のほの丁寧なくひょうもメノシアフのスピヒッホの時のへ再教育ほ受けさへされはのですよ!」


「そうか。だからあの時以降、お主の言葉が丁寧になっていたのか…結婚も楽ではなのだな」

数多の人を束ねる彼に今のシグルの言葉の意味は理解できる。
そしてシグルの結婚後の苦労にしみじみとした感想を抱いたのであった。

「最近へはね! ソーマとかひう輩のお陰でスピリッホの責任ひゃであるわたひはもう大変!!」

「…ソーマ? 聞いた事の無い名前だな」

軍に関する人間に関しては必ずジェイムズに耳に一度は入っているはずなのだが、ソーマという名を彼は聞いて事はなかった。
それゆえにシグルの口から出されたその人物の名に不信感を抱いた。

「臨時に雇っているスピリット訓練士の事だ。本名はソーマ・ル・ソーマ。サーギオスに存在している貴族に似たような家系があった」

それについてはシグルではなく、レイヴンが答えた。

「既に調べていたのか」

「奴に関しては少しきな臭かったのでな。案の定、少し問題がある」

そう言ってレイヴンはコップに残っていた酒を飲み干す。
その傍らのシグルも一気に酒を飲み干して勢いよくテーブルに置いた。

「奴は強ひスヒリットを作りあへるとは言ってほいて先の戦闘で戦力を全滅させやがりやしたのですほ!!」

ソーマはバーンライトのスピリット強化に手を貸していた。
彼がそれに加担する上で強いスピリットを作り上げるとシグルに約束をしていたのである。

だが、その大半のスピリットたちをサモドア山道に試験的に導入させたらあっさり全滅。
ラキオスを過少数で撃退したのは凄い功績なのだが、その代償が全滅では話にならない。

「お陰へ今のわはひはその責任のためひあちほち駆けずり回わっているのでふよ!!」

「そんなに酷かったのか?」

自身の苦労話に突入し出したシグルから視線をレイヴンへと戻す。

「捨て駒の出来損ないだな。獣のように相手に襲い掛かるしか脳の無い生物と化していた。
あれでは例え強くても運用出来たものではない」

人の形をした動物の本能。マナを求めるだけを最上としての行動のみしか取れない糸の繋がっていない傀儡人形である。
そして何よりも、色に関係なくスピリットの背中に生えていた漆黒の翼。あれは本来の性質を捻じ曲げている事に他ならない。

「奴個人の専属部隊となれば話は別だがな。
スピリットを戦の駒とするのでは本来のスピリットの目的とはあまりにも異質なものとなっている」

「――危険、だな」

「ああ。少し用心する必要はある」

ジェイムズは酒をクイッと煽り、レイヴンは大根を一気に頬張る。
その傍らでは話の途中で突っ伏したシグルは今もぶつぶつと話を続けている。

「ソーマは少し妖精趣味の気がある、というよりも妖精趣味者として異端なのかもしれない」

「ふむ――と言うと?」

「奴はスピリットに関してかなり深めの知識を持っていなければ出来ない技術を有していた。
そしてスピリットに対する態度に他の人よりも深く、興味とも嫉妬とも取れる憎悪を持っている」

オヤヂに酒の追加を出させ、コップに酒を注ぐ。
レイヴンはそのままジェイムズの手の中にあるコップにも注いだ。
注がれた勢いで水面が揺れているのを眺めてジェイムズは呟くように言う。

「だからこそ自身の手でスピリットを手がけ、自分好みのスピリットを作り上げる」

「既にソーマの口車に乗って専門の教育と訓練を受けて作り上げられたスピリットも他にも複数いる。
結果的には奴の案は破棄され、そのスピリットたちは破棄の処刑をされるだろう」

レイヴンはテーブルの上に積み上げられた皿とコップを片付ける。

「――そうか。スピリットとはいえ、無駄な命となってしまうのか…」

感傷に浸るジェイムズ。彼を尻目にレイヴンは支払いを済ませ、再び向き直す。

「だが、そうなる前に戦死するだろうな」

その言葉にしっかりと縦に頷くジェイムズ。

「うむ。強い捨て駒は使えるうちに消耗させる考えが通るだろう」

「いつ頃になる?」

「近い内に動きは出る」

ラキオスからの一方的な侵攻にこの国がこのまま静観しているはずがない。
ましてやラキオスの主力は前回のでほとんどが消耗してしまっている。
未だに癒し切れず、戦力補給もままならないラキオスは絶好の弱っている獲物だ。

そして少数でラキオスのスピリットを押せるソーマのスピリットをここで使わない理由は無い。
停戦を結んで間もないのだが、所詮は『この戦いはここまでにしましょう』と言っているだけであり、次の戦いまでの時間伸ばしにしか過ぎない。
先日の戦闘によって削られた戦力は過去最高。黙っている方がおかしいと言って差しつかえないのである。

「その時はおそらくお前のスピリットたちも狩り出されるかもしれん」

「だろうな。こちらもそれなりに準備は整えておく」

「頼む」

そこで話を終わり、ジェイムズは席を立つ。
暖簾をくぐって屋台の外へ出ると、程良く火照った頬に当たる夜風が気持ちいい。
晴天の夜空は星々が一つ一つ綺麗に瞬いている。

「ジェイムズ。シグルを頼めるか?」

「わかった…大丈夫なのか、そ奴は」

レイヴンに支えられて立ち上がっているシグルを見てジェイムズは言った。
先ほどまでぶつぶつ言っていた彼が今は死んだように静かに吊るされている。

「睡眠薬を少々飲ませた。あのままで帰したら酔い以外の理由でも説教されそうなのでな」

「…確かに」

先ほど彼の話に出てきていた自分の母親の教育熱心さ。きっと酔っている事について説教されるのは目に見えている。少し弁護してやろう。
そして最も危ないのが彼の女事情。きっと酔いの勢いで
妻以外に親密な女性の名前を出しかねない。
家では常時頑張っているであろうシグル。常日頃突っかかってきている彼だが、可哀相なので今日の事は黙っていてやる事に。

レイヴンからシグルを預かったジェイムズはしっかりと肩を貸して歩いていく。
最後の一言ずつ別れの挨拶を交わし、彼らは去っていった。
残ったレイヴンは再び屋台の暖簾をくぐって席につく。

「オヤヂ。例の新作はもう出来ているか?」

「――あるよ」

既に予測していたのか、それは既に出来上がってレイヴンの目の前と彼の両側へと置かれた。
それらは大きめな容器に入ったフルーツパフェ。以前ダーツィのケムセラウトの街で食したパフェよりは当然小さいが、それでも少し量は多めである。
このパフェには巷で人気のあるスナック系のお菓子やスポンジケーキが中に仕込まれており、アイスの冷たさと相まっている作品であった。

彼が一緒に出された小型のスプーンでよそう時には彼の両側では既に食べ始めていた。
蒼く長い髪に緋色の瞳をした佳麗な少女の『月奏』は一口一口味わって食べ、艶やかな長い漆黒の髪と瞳をした『月奏』よりも少し幼い巫女服の可憐な少女の『凶悪』はパクパクと食べている。
何時の間にかそこに居た二人にレイヴンは当然の事ながら、屋台の亭主も動じていない。

男二人はお互いに喋る事もなく沈黙を保っている。
少女の二人はパフェを食べる事に集中し、オデンを煮ている音だけが際立って響いていた。
此処にあって、まるで此処には何もないような世界。静かな世界はそこにある物を無いとさえ言わんとしている――。

……………
…………………

男たちの夜からおよそ一ヶ月。年を越してもイースペリアとダーツィでは災害の拡大が未だに続いている。
やはりと言うべきか、大地のマナの干上がりによって不作の年となり、大規模な飢餓にまで発展しかけている。
このままいけば聖ヨト時代稀に見る大災害へと発展してしまうだろう。

その最大の原因の本質が過度のマナ現象によるものなのだが、それに気がついている者は被災国には居ない。
それらの原因を人々は根拠の無い噂を広め、最後には最も信憑性が高そうで災害の少し前の出来事が標的となる。
シージスの征伐。人々は最終的にそれに行き着き、シージスを討伐した事による呪いなのではという話に恐怖していた。

後のこの災害はこの大陸の歴史に刻まれる『呪いの大飢饉』を称され、シージスは魔龍としてその名を残す事となる。
そしてさらに、天災の真北にあるサモドア山道ではこちらでも近年稀に見る大規模な戦闘が勃発する事に。
これも後の歴史に小さく刻まれる出来事ではあるが、その主要因の現象はこれから起こるのである。


「――これはあまりにも不当な任務です。本来の管轄を大きく逸脱しています!」

「だがこれは既に下された命令だ。無視する訳にはいかない」

「ジェイムズ様も抗議はなさっておいでですが…」

「国王もこれには承認している。その時点で最早手遅れだ」

城内におけるレイヴンとメラニスの話し合い。
実際に所、メラニスが行動しようとするレイヴンを引き止めようとしている。
レイヴンは彼女の言葉に返答しつつ、自身も身だしなみの最終チェックをしていた。

ジェイムズと同じ色合いの服装ではなく、漆黒の上下の服に白い外套。
ダーツィよりバーンライトへと入国した際の服装であり、今回はそれに薄い生地の黒の手袋をつけている。
指先が露出しているという物であり、いわゆる物を握った際に掌での滑り止めである。

「ジェイムズに伝えておいてくれ。今後の動向に対しての動きとその対処法の書類は報告書とともに提出した、と」

「…はぁ、わかりました。伝えておきます」

一向に取り合わない彼に諦めて溜め息を一つついて承知する。

「頼む」

「ですが、この使者として何故メノシアス様のスピリットたちも同行させるのか図りかねます」

この会話そのものは、これからバーンライトが行おうとしている事の序章。
彼に与えられた――正確にレイヴン直属のフィリスたちもラセリオへと向かわせるものである。
バーンライトはレイヴンにラセリオへと使者として向かわせ、宣戦布告をさせようとしていた。

ラキオスの戦闘予告も無しによる突然の侵攻。これに対する正当な自衛的反撃である、これが言い分である。
だがこれは建て前なのは明白であり、この口実を下に弱体化している今のラキオスへと攻め入ろうとしていた。

「見せしめだろう。ラセリオに最も接近させてどれだけのラキオススピリットが戦力を残しているのかも知れる。
これは『出来ればラセリオに駐留しているスピリットも排除して来い』とも捉えられるがな」

ラキオスは北方三国と『龍の魂同盟』という敵対国侵攻に際して共同戦線を張るという軍事同盟を結んではいる。
しかし、頼みの綱であるイースペリアは現在国内の大飢餓による混乱で出兵出来ないのは当然であり、サルドバルトからの出兵では地理的にラセリオ占領後になってしまう。
例えラキオスが踏ん張って間に合ったとしても、軍事力の貧弱なサルドバルトのスピリットでは数の足しにしかならない。

バーンライトの同盟関係にあるダーツィには食糧支援をしているため、こちらの隙をつけこまれずにラキオス攻めに集中できる最適な頃合い。
ラセリオでもエーテル変換施設の可動出力の低下によって街では混乱が続いており、今攻めれば浮き足立つ事になる。
何もかもがバーンライトのラキオス侵攻においてこれ以上の無い最高条件が揃っていた。

「それならば、宣戦布告と共にサモドアに現在駐留している全戦力を向かわせれば済む話ではないですか」

「その点に関しては俺も同意する。幾ら強化された少数戦力を保持したからといって今までの戦法を覆すのは不審だ。
ましてやその先陣を切る形でこちらのスピリットを使うとなると――」

「捨て駒、でしょうか…?」

メラニスは顔色を曇らせる。フィリスたちはこの国のスピリット隊に属していない特殊な位置にある。
それを可能としているのが彼女の視線の先にいるメノシアスという人物であり、彼のスピリットたちを無下にされない理由でもある――そして彼女自身も…。
何時かは何かにかこつけて排除されかねない事はわかってはいたが、実際にそうなるかもしれないとなると彼女は不安を感じずにはいられない。

「恩赦のある相手に対してそういった行動をすれば内政に不信感を煽るためにそうそうするものではない。
この戦いが勃発すればこちらが有利である事には変わりが無いのだから、それ自体意味をなさない」

「それでは一体何のために――」

「案外第三者による進言がそのまま採択されたのかもしれない。使者で送る人物などほとんど誰でもいいのだからな」

「第三者、ですか…?」

頭に?マークをつけて首を傾げるメラニス。その仕草は年齢相応のまだあどけない少女そのものであった。
彼女にそれに該当する人物がわからないのも仕方が無い。この城内で彼を利用しようとする者など皆無のはずなのだから。
最有力候補のシグルならば自分管轄のスピリットを起用しているのだろう。

「杞憂に終わればそれに越した事はない。だが、もし何かあればジェイムズの事を頼むぞ、メラニス」

「縁起でもない事を言わないで下さい。メノシアス様はジェイムズ様にとって必要な方なのですから――帰ってきて下さい」

真剣な眼差し。彼はその視線を正面から受け止めるも、失笑する。

「俺の存在で現状が維持できている事自体芳しくはない。メラニス。お前は自身で“歩み進める”んだぞ?」

「っ…!」

瞳が大きく揺れる。彼女はその褐色のかかった肌と両親の馴れ初めで今まで大きな差別をされてきた。
貴族や王族などという自尊心の塊の者たちにとってそれは格好のネタであり、事実彼女の過去は暗いものである。
貴族の一人娘でありつつ、今まで家政婦に近い立場に居たのはそのためであり、職の同僚には優しくされていた。

秘書として抜擢されて際、偏見や差別をしないジェイムズとメノシアスという後ろ盾のお陰で今の職に居る。
メノシアスの存在が消えてしまえば今後、彼女に対する王族や貴族からの差別が復活しかねない恐怖。
彼女は彼を必要としているのではなく、身を隠す為の『楯』としているのであった。

「お前はジェイムズの秘書となり、成長を遂げている。政務にも立ち会っている。
そんな些細な事を退けられないメラニスではないのだ」

「――私に、出来るのでしょうか?」

周囲の視線と吐き出された言葉が幼い心に傷をつけた少女。泣かずに我慢する少女をあやし、少女に微笑みかける褐色肌の母親。
そんな少女の母親は今、病気を患って家で寝込んでおり、少女は早く母に元気になって欲しいと働きに出かける。
職場の皆には優しくされるも、その他の周囲の人々は以前と変わらなかった。

「何かあれば話せる人がお前には居る。――その先はお前次第だ」

装備のチェックを終え、レイヴンはメラニスから離れていく。
彼女は呆然とした面持ちで彼の後姿を見送り、見えなくなっても暫くの間見送り続けたのであった――。

……………

現在のサモドア山道は静寂の中の凄然としており、人の歴史の利器は見るも無惨に廃れていた。
もしも今後、貿易のためにこの山道を利用するするのならば、かなりの時間と費用を投じなければならない。
少なくとも大きな荷物を運搬する事が出来るだけの滑らかな道筋はほぼ皆無。

陥没と火炎弾による山への刺激によってプレートの表面に浮かぶ断層面には深く亀裂が走り、いつ崩落が起きても不思議ではない。
それらを修復・補強する為の即在技術など両国ともに皆無であろうが、エーテル技術を用いれば可能かもしれない。
あらゆる物に用いられるエーテル技術。便利過ぎるがゆえにエーテルの大本であるマナが有限となれば我先にと群がっていく。

人は何も知らない。自分たちが自身の首を締めている事に。
人は何も学ばない。自身に都合の悪い事は隠し、有益な事しか耳にしない。

「実際にこの目でよく見てみると結構激しくやってたのね…」

初めて見るサモドア山道の惨状にシルスは少し絶句気味である。
以前戦闘に参加した時は夕刻の周辺の風景が少し見難い状況であり、後は遠距離からの視察でしか見たことが無かった。
もはや人の通る道では無くなってしまっている獣道は縫うようにして歩くしかない。

「なるべく内側を歩け。所々脆くなっている箇所があるからな」

シルスの先頭を――他にもフィリスとリアナを連れた人間が声をかけつつスイスイ歩いていく。
道幅の半分以上崖側を歩く事はせず、うまく道筋を見極めて歩いている。器用な奴である。

レイヴンはバーンライトの使者としてサモドア山道を経由してラセリオへと向かっている。
今回は国公認な事である為にこそこそする必要も無く、山道を利用しているのであった。
本来ならばラセリオへではなく、直接ラキオス首都へと向かうべき事だが、これはバーンライトの戦略的な意味合いのためである。

要は即行でラセリオを落とそうとしているのである。
ラセリオからラキオスまで伝令に半日もかからないだろうが、その時間そのものが遅すぎる結果となる。
さらに現在のラキオスの戦力は弱まっており、この宣戦布告において混乱するのは目に見えている。

使者を向かわせるのにその実はラキオスの突然の侵攻と大して変わらない。
むしろ状況を逆手にとって有利に進めようとする魂胆がありありと浮かんでいる。

「――青い、空…」

両国の最前線を過ぎると山道は滑らかとなって落ちる心配はないので、安心したシルスは晴れ渡る青い空を見上げていた。
地上は荒んでいるのに空は一色だけに犯され、他の色に染る事のない青い色をしている。
今の彼女の心は本当に今此処に居る自分だと思い知らされてしまう。無垢でも純粋でもなく、かといって荒み切ってはいない半端な位置付け。

「………」

シルスは視線を隣へと向け、リアナの横顔を覗いた。落ち着きを払い、自分より大人びている彼女の心に思いを馳せる。
同情をしているわけではない。親しいスピリットが死ぬのは殆ど日常そのもの。
その点に関して悲しくはあるが、それとこれとは別。リアナの“何か”にシルスは胸を締め付けられる思いであった。

山道が下りとなって人間が一人でラセリオへと降りていった後のシルスたちは物陰で息を潜めて待機。
神剣の気配に関しては少しだけ放出してラキオスに少し警戒をさせるだけ。微妙にえげつない。
そんな空き時間が出来た彼女たちはすることが無いのでのんびりする事に。

フィリスは早朝の出発が効いたのかすぐに眠りに入り、リアナが肩を貸して座って支える。
シルスはその様子はただ眺めるだけで突っ立っていたが、立っていてもしようがないのでリアナの隣に腰をかけた。

「…リアナ」

「はい?」

空を見上げて声をかけたシルスだが、言葉の先が続かない。
リアナが眠るフィリスの蒼い髪を撫でながら顔を向けているのを自覚しながらも、喉まで出掛かっている言葉が出ない。
視線をリアナに向けないまま口をあうあうとさせていると、リアナがクスリと笑う。

――とんっ

「――あっ…」

気が付くと、シルスはリアナに引っ張られて抱き締められていた。
人の柔らかな温もりと首筋をくすぐる柔らかな髪の毛に混迷していた頭がスーと氷解していく。

「ありがとう。私は大丈夫ですから」

「――っ」

シルスの考えていた事は見透かされており、驚くと共に落胆する自分を自覚した。
何かをしてあげたいと悩んでいた自分が逆に安心させられている。
本当ならばリアナにしてあげるべき事なのだが、それを出来ない自分が歯痒い。

「確かにレイナが居なくなってしまって寂しいけれど、今はフィリスにレイヴン――そしてシルスが此処に居る。
それだけでも私は十分だから。だから、そんな私の変わりに悲しい顔をしないで…」

リアナはシルスの頭を撫で、シルスはそんなリアナの腕に抱きつきて小さく震える腕を堪える。

「本当にズルいなぁ…リアナは」

「はい。何と言ってもレイヴンが私達の上司で、私達は彼の指導の下に教育されてますから」

「…それ、自慢?」

「ええ、もちろん」

笑顔で返されてシルスは溜め息を吐く。だったら新参者のあたしは何よ?と出掛かった言葉を飲み込んで脱力する。
抱かれている体勢を自分の身体が仰向けになるように動き、そのままリアナの膝に頭を乗せた。

――目の前で目一杯に広がる空が嫌というほど眩しく、明るい青を見せ付けてくる。

今のリアナは差し詰め青い空に浮かぶ白い雲。
あたしはそれを見上げる今の自分。手を翳しても決して届かない。
けれども雲はしっかりとこちらを見下ろして柔らかく見詰めている。

「――んんっ…」

心地良い日差しを浴びて、シルスの瞼は下りていく。
直ぐに瞳は閉ざされて呼吸も小さく規則正しくなっていった。
リアナはそれを見て微笑み、そして空を見上げる。

「……こうしていていいんだよね――レイナ?」


その瞳の先には空ではなく、金色の粒子へと還っていった少女の姿へ思いを馳せていた――。





挿入歌:PS2用ゲームソフト『ACE COMBAT05 - The Unsong War -』
オリジナルサウンドトラック
『 Blurry 』 ( Opening and Ending song )
 作曲:NAMCO(担当:大久保博)
 作詞/歌:Stephanie Cooke


作者のページに戻る