Before Act -Aselia The Eternal-
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初日の戦闘にだけで両国の主戦力に甚大な被害をもたらしていた。 バーンライトはラキオスの個々の高い能力の前に数多をスピリットを失い、ラキオスはフィリスたちの奇襲によって精鋭の半数近くを失った。 数のバーンライトと実力のラキオス。両国は主たる戦い方をする戦力を初日でもってして過度に疲弊する。 二日目以降は小康状態へと突入し、お互いに睨みを利かせつつ小規模な戦闘が勃発するのみである。 押しつ押されつと初期の勢いを失ったラキオスは面子を保とうとラセリオにて部隊の再編成を行なっている。 元々ラセリオでの変換施設の不調による住民の混乱を紛らわすと共にサモドアの新たなエーテル変換施設の破壊を目的としていた。 初めの攻めで一気にサモドア近郊まで部隊を展開しようとしたのが失敗に終わり、完全に失速してしまった。 バーンライトの数のある戦力を突破する機会はあと一回きり。精鋭の激減によるこれ以上の膠着は不可能であるのだ。 バーンライトも今は主戦力たるスピリットを未だにサモドアに駐留させ、新たな変換施設の稼動のためにスピリットを割いている為に防衛に徹していた。 攻める者に守る者。双方が再び激突するのに最早そう長い時間はかからないであろう。 只でさえ混乱の続くラセリオに駐留していれば物資の減っていき、そこに住み人々の不満も増大する。 戦力的にも政治的にも、ラキオスが動くのは時間の問題であった――。 …………… バーンライトの首都サモドアに住む人々は至って変わらない日常を過ごしていた。 ラキオスとの急襲によって戦闘が発生した事は警報の鐘によって誰もが知る事となっているが、全くそれを感じさせないでいる。 鐘が鳴った当初は些細な混乱は発生したものの過去の事例から『またか』というのが大部分であり、混乱もジェイムズの指揮の下に衛兵が鎮圧させた。 戦争するのはスピリットであり、それを指揮する国のトップたち。 国に暮らす人々は自身の生活が保障されていれば何の問題もないのである。 そして戦うのは人ではなく、忌嫌われる妖精。例え居なくなっても何ら支障をきたさない存在である。 「フィリス、そこ間違ってるわよ。ストラロス(100)がなんでラロ(0)になるのよ」 「はにゃ?」 「『はにゃ?』じゃないわよ。そこの計算で繰り上げた数が一つ抜けているわよ」 「…おおっ!」 「覚えはいいんだから変なところでポカをしない」 サモドアの中央に位置し、バーンライト国内最大の中枢機関であるバーンライト城。 国内のあらゆる文献や資料が埋蔵されている図書室というにはかなりの規模を誇る蔵書の保管庫で、フィリスがシルスに勉強を教えられている。 今現在フィリスは数学もとい算数の勉強の真っ最中である。 「そういうシルスも俺の教える式に対して盛大な大ポカをしているがな」 「そこっ!? 変な突込みをしない!」 「シルスお姉ちゃんも大ボケ〜♪」 「フィリスに言われたくないわよ! リアナも隠れててもわかるわよ、笑ってるの!」 「とりあえず静かにしろ。いくら人が居ないからと言ってもしっかり響き渡る」 シルスの傍らで蔵書を読んでいるレイヴンに指摘され、ぷるぷると震えてシルスは沈黙する。 フィリスの傍らではそっぽを向いて別の意味でぷるぷる震えているリアナ。 通常、スピリットが入出出来ないこの場所で、彼らはほぼ独占状態で中で図書館を利用している。 サモドア山道が戦場であるために直接的な被害は皆無であるものの、スピリットを駐留させる上で物資の確保は必至。 戦闘はジェイムズやシグルたち軍に属する高官たちが直接指揮を取るが、物資の手はずは他の文官などがその他の役目を負う。 現在新たなエーテル変換施設における各地方との連携のために動いている最中の攻撃により城内のほとんどの士官たちが這い回っている。 ただでさえ大規模な施設移行で混乱が生じているのに、それに加えてラキオスの急襲にもはやバーンライトの中枢機関は休む暇もない。 ゆえにレイヴンたちがいる図書室は常時居るはずの司書すらも駆り出されて完全に無人の状態である。 そしてこういった機会が無い限りは自由に利用する事など出来ない。もちろん、申請などせずに勝手に利用させてもらっているのであった。 申請をしたとしても簡単に許可が下りるはずもなく、ましてや今のこの忙しい城内で申請を受け付けてくれる事など皆無である。 「だいたい、あたしたちはこんな所に居ていいわけ? あの時以来、訓練と勉強ばっかりじゃない」 ラキオスが攻めてきた初日。レイヴンはフィリスたちに奇襲と援護をさせて以来、一度も戦場へは趣いてはいなかった。 隣に座っている人間に対してシルスは手にした分厚い本でペシペシと叩く。 叩かれる本人はインパクトの瞬間に首を傾けて衝撃を受け流しているためにダメージは皆無である。 「俺たちは戦場に趣くスピリット隊ではなく、戦場に趣く兵士と同等であり、情報伝達が主な役目だ。 初日に戦場へ向かったのはお前の戦闘スタイルの試験運用と前線の固定化を行なうためであり、前線の一進一退が定まれば後方の兵も動きやすくなる。 その後はもはや俺たちの出番は皆無。情報を収集しようにも山道戦という狭い空間のみではあまりに情報が得られない」 「だったらラセリオにでも潜入して情報収集すればいいじゃない」 ――ぶんっ 少し力を込め、本の角で脳天目掛けて振り下ろす。力のないシルスも振りの勢いがあれば凶悪な武器となる。 「今は膠着しているからいいものの、情勢がどちらかにでも傾けば一気に決壊する。そのための待機だ」 ――すいっ ――びしっ! 首と上半身を軽く傾けて攻撃を避け、片手をシルスの額に添えて中指で弾く。 皮膚下神経に火傷をするような軽い痺れる痛みが走り、シルスは弾かれた箇所を片手で撫でる。 持っている本を投げつけようと考えるも、既に手の中の本は奪い去られて彼の手中の中で読まれていた。 「ましてや目まぐるしく情勢が動く中でほぼ単身で潜入しても本国に届く次点で情報は既に古いモノとなっている。 そんなモノを得るために潜入するのは無意味でしかない。今は待つ時だ」 「それっていつまでよ?」 染みる痛みで目に薄っすらと涙を浮かべながら質問をする。 直接的な痛みは大した事は無いが、継続する痛みという二次痛覚に近い痛みは耐えがたいものであった。 問われたレイヴンは本を閉じ、開いている窓を眺めて思案する。 「――そうだな……そろそろ導入される時間だろう」 「?」 「見てみるか? 情勢が傾く瞬間を」 …………… ………………… フィリスとリアナに別の用件を伝えて別行動をさせ、シルスは一人だけレイヴンの着いて行った。 サモドアの街を出、以前ラキオスを攻撃する際に通った道を辿っていく。道なりは同じであったが、その移動速度はあの時の比ではない。 何故なら今回はレイヴンとシルスという二人だけ、つまり一方が速度を出せる飛行が出来るのならば遅い一方を引っ張れば早く移動が出来るという事である。 シルスはウイングハイロゥを用いたとしても滑空ないしは低空飛行しか叶わない。 風を読む術も無く、起伏の激しいサモドア山脈を飛んで抜けるにはあまりにも不足している要素をレイヴン一人を加えたことで可能とした。 高高度を飛行できる術。そして高速飛行を可能としている飛行能力で、である。 「…なんか世界がぐるぐる蠢いてる〜〜?」 「未知の領域を体験した事による一時的な知覚機能障害だ。寝転がって空を見上げていれば直ぐに回復する」 山脈に突入した当初、腰から真紅の翼を一対生やしたレイヴンの両手にシルスが捕まって二人は飛行していた。 この段階では前回よりも少し速い程度であったので問題はなかったのだが、中を進んでいくごとにその速度は加速していたのだ。 最初は不信に思っていたシルスが確信に至った時には刻既に遅かった。山が置き去りになるような錯覚を見せるほどの飛行速度を出していたのである。 一気に眼前の山肌を肉薄し、一秒にも満たない衝突時間にレイヴンが旋回してスレスレで回避。 山肌の出っ張りが彼女の服を軽く千切ったのは間違いではない。そして旋回した先にはまた山肌が――のエンドレス。 悲鳴を上げる時間も無かった連続して襲い掛かってきた死への恐怖とまだ慣れない急激な上下移動の浮遊感。 気分は最悪で昼に食べたご飯をリバースしそうになった。だがそれは起こらなかった。 そんな暇を与えなかった高機動&超高速飛行は五感を狂わせ体調不調さえも与えてくれなかったのである。 レイヴンが開けた先の目的の場所へと辿り着き、下ろされた時のシルスはフラフラする間もなく倒れ伏したのだった。 「――それでぇ? 情勢が傾く瞬間ってぇここにあるのぉ〜?」 空がぐでんぐでんに蠢いているしか今は見えないシルスは寝転がって空を見上げて言う。 呂律にも支障をきたしており、少し舌足らずである。 「……今はラキオスの再編成した精鋭の部隊がバーンライトの部隊を蹴散らして戦況を覆している真っ最中だ」 双眼鏡を覗き込み、爆炎とチラチラと煌く金色の光を確認しながら答える。 その答えにあまりうまく働かない今の頭でも少しひっかかるものを感じて顔を人間へと向けた。 視界が歪んではいるものの、座って以前の筒を覗いているのが見える。 「それってこっちがものすごくヤバイんじゃないの?」 「ああ。このままいけば完全にヤバイ」 アッサリと肯定された。しかし、これ以外に現状を肯定する要素は無いのは事実である。 現在、山道では精鋭で構成されたラキオスの部隊が前線を切り崩しているのだ。 数で勝るバーンライトも連戦による消耗によってラキオスの精鋭を打破できないでいる。 スピリット一体を仕留めるのに複数のスピリットの犠牲を犠牲にしなければならず、非効率的な手段を取るしか術が無い。 そしてその術も狭い山道内では困難であり、ゆえに押され続けていた。 「味方が死んでいく情勢を見せたいがためにあたしをここに連れてきたの?」 「いや。お前に見せるのはこの戦いが終わりに向かう瞬間だ」 そう言うな否や、レイヴンは立ち上がって山道に方へと近づいていく。 後一歩で山から落ちる場所でしゃがみ込んで双眼鏡の先を凝視する。 ようやく頭と気分が落ち着いたシルスは彼のその行動を身体を起こしながら見つめていた。 「――来たか」 そう呟き、双眼鏡から顔を離してシルスに視線を送る。 それに従ってまだ少し平衡感覚が戻らなくてふらつきながらもレイヴンの傍らへと歩み寄った。 レイヴンは手の双眼鏡を渡し、それを覗きながら見る方向を指で示す。 覗いた瞬間に遠い向こう側が近くに見えたために少し慄くも、手にある物が遠くの物を見るための道具だと悟って視界を動かす。 少し戸惑ったものの山の中腹にある山道を見つけ、その道に沿って戦闘区域を視界に納めた。 戦いは激しく、両者ともに惜しみなくその力を振るっているのが見える。 だが、それでも実力の差によってバーンライトのスピリットたちが次々とマナへと還っていくのは悲惨である。 攻めても攻めても押し返せない。戦うために存在するスピリットがその意義を達成できないで死んでいく。 死んでいく同胞の中に、異質なスピリットがバーンライト勢の後方から接近していた。かなりの速度である。 レイヴンの持つ双眼鏡が暗視スコープの付いたモニター式であったのならば、彼女はその姿を捉えるのはもっと遅かったであろう。 覗く先に映るモニターの表示速度を上回る速度で移動しているためである。彼女たちはウイングハイロゥを広げて高速で前線へと接近している。 味方のはずのバーンライト勢の頭上を越え、ラキオスのスピリット勢へと襲いかかる。 「――っ…強い!?」 思わず漏れ出る驚愕の声。突然現れたスピリットたちがラキオスの精鋭を蹴散らしているのだ。 あれほど苦戦を強いるだけの猛攻をものともせず、逆にその相手を切り伏せ薙ぎ倒していく。 レッドスピリットによる神剣魔法がラキオスのスピリット勢の中央で炸裂し、何人ものスピリットを消し炭とする。 轟音が幾分も遅れてシルスたちの所へも届き、拡散して反射する事によって集束したその音が足場を振動させる。 それはあのレッドスピリットの放った神剣魔法の恐ろしい威力を如実に物語らせていた。 高熱と衝撃波に歪む視界の先がようやく視認出来たので今の神剣魔法を放ったレッドスピリットを凝視する。 「あの子は…」 見覚えのある姿。何度か顔合わせし、それなりに仲が良かったスピリット。 何時しか疎遠になっていた彼女と再び声を交じ合わせたのはフィリスたちを訓練の的にさせる時の連絡に来た時。 あの時の彼女は以前の幼さと無邪気さを失っており、シルスの事などその他のスピリットを見るような視線であった。 そんな彼女が今、双眼鏡で見つめた先のサモドア山道に居る。その瞳には光がない。 何の感情もないというよりも、そもそも彼女には感情など備わっていなかったと考えた方が良いようにも思える。 だがそれでも、その仕草一つ一つから滲み出る動物然とした緩慢な動作に不快感を覚えた。 彼女は自身の神剣を手に、ラキオスのスピリットへと切りかかっていく。 精鋭の仲間の大半を失ったラキオスのスピリット勢には混乱は生じておらず、極めて冷静に事態の対処している。 突っ込んできた彼女にラキオスのスピリット二体が双撃し、逆に切り伏せようとしていた。 彼女はそれを目一杯屈んで避ける。死の恐怖や避けた事への喜びや安心など何の色も見せない瞳はただ相手を見据えていた。 次瞬には切りかかってきた一体を切り上げ、マナへと返す。神剣に金色の粒子が物凄い勢いで吸収していく。 そこで彼女は今初めて表情を浮かべる。それは歓喜、それは快楽。彼女は微笑むというにはあまりにも凄惨な笑みである。 シルスは震えた。見ている自分が彼女に心を侵食される気分にさせられたからである。 そして強烈な違和感。彼女のみならず、他の数名のスピリットにも当てはまり、彼女を凝視していたお陰でそれは直ぐに気がついた。 シルスのとっては当たり前であり、グリーンスピリットとレッドスピリットには無縁であるものが彼女の背中にはあったのだ。 ――漆黒の翼。それが彼女の背中に生えていた。 ウイングハイロゥというのは不完全な展開であり、ボロボロな翼という表現がピッタリな翼である。 無理をして展開しているのがありありと覗え、本来のスフィアハイロゥではないのだから展開出来る事自体おかしいのである。 書物から得た知識で決して不可能ではない事は知っていたがあらゆる面で劣化し、実用するには難しい技術なために研究すら破棄されたのが今視線の先に存在している。 下で唇の舐め回し、開いた手で身体を擦っている。彼女は悦びに満ちていた。シルスはそれを見て震える。 知らない感情なのに心が、身体が、心が彼女を否定していた。 そんな彼女は動きを止めたために残っていたもう一体のスピリットに首を跳ねられる。 顔を笑みを浮かべたまま斬り飛ばされた首が道に転がり、そのままマナの粒子へと還って行く。 呆気なかった。戦場なのに彼女はその事をすら忘れて悦びに満たされていた。 「なんで……」 搾り出した声。スピリットは確かに戦争のための駒である。しかし、あれではただの欲を貪る生き物ではないか。 マナを求めて戦場に出て、相手を切り裂いて得たマナを啜るその悦びに浸る。まるで神剣そのもの。 …いや、神剣自体にそのような行動を起こさせるだけの能力は保持していない。 では一体何が彼女を…彼女だけではない他の漆黒のハイロゥを持って現れた子達もである。 バーンライトのスピリットの個々の戦闘能力は低い。数の暴力による集団戦闘を用いるのだから致し方ない事ではあった。 それは今も変わらないはずであり、だからこそラキオスに押されていたのである。そこで思い当たる事が一点だけシルスの頭を通り抜けた。 主戦力をサモドアに隠匿していた事。この戦闘において主戦力である精鋭が今までずっと隠されていたのだ。 詰め所は複数存在し、シルスは彼女たちとは別の館に在籍している。 彼女が知る限りでのバーンライトの主力やまだまだ幼いスピリットたちは皆、知らぬ場所へと隔絶されていた。 そんな彼女たちが今、サモドア山道においてラキオスのスピリットたちを切り伏せていっている。 だが、全体を見渡す超遠距離からの客観的な視点とあの中に以前の彼女たちを知っているからこその意見が込み上げて来る。 「……これ、戦闘じゃない」 戦いは常に強い者と強運の持ち主が勝利するもの。 その点において彼女たちは圧倒的なまでに強く、蹂躙と呼べる戦闘となっても文句は言えない。 しかし、彼女たちは戦うために剣を握っているのではない。マナを貪るために件を握っているのだ。 相手の血肉を引き裂き、空間に逃がさないと言わんばかりにマナを神剣に吸わせていく。 スピリット自身にも神剣からのマナ供給が得られて満たされていく気持ちに陶酔している。 人間の駒なんかではない。ただただ、マナを欲している存在である。 「バーンライトの内部機関の一部において、個々の能力が低いスピリットたちの強化を図ろうとした。 その試験運用の過程で雇われたある一人の訓練士らしき者が神剣との同調率を重視してもたらした結果、それが彼女たちだ」 双眼鏡を目から離して説明し出した人間をシルスは見つめる。 彼女の顔色が優れないが倒れるほどのものではなかった。 「だがやはり試験運用そのものなだけあって、今の彼女達は見ての通りだ」 「――ひどい…」 再び覗き込んだ先ではラキオスのスピリットたちの中に突っ込んだ子がマナへと還っていた。 死の恐怖など無く、ただただ神剣の意思に従って相手のマナを得ようとがむしゃらに動き回っている。 基礎能力が高い分に逆にそれが厄介な力となってラキオス勢は駆逐されていっていた。 「戦闘能力そのものはラキオスよりかは少し上であるが、その他の技術面は非常に稚拙だ。直ぐにマナに還る」 元々少数で突然攻め入ったために混乱に乗じて押していたが、子供騙しは直ぐにばれてしまう。 体勢を立て直したラキオス勢は個々に攻めてくる彼女たちを一人一人マナへと還していっている。 「もう勝てないってわかってても――」 「撤退はしないだろうな。目の前にあるご馳走目掛けて突進する者は真横からの乱入者など見えてはいまい」 「………」 消えていくかつての仲間達。そしてまだ見ぬ新たなる同胞達。 シルスは空いている片手で胸を押さえ、静かに息を吐いて目を伏せた。 瞼に焼きついた先ほどの光景が何度も反芻する。 「何にせよ。これでラキオスが再編成した精鋭部隊は大打撃を受け、バーンライト側の戦況がかなり有利となった。 後は停戦の間合いをお互いに見据えあうだけだ」 山道を見ていたシルスから双眼鏡を横から奪い上げる。 その行動に対してシルスは何の抗議もせず、青ざめた顔で呆けていた。 そんな彼女の頭に少し強めに頭を撫でてこちらに視線を向かせる。 「用は済んだ。街へと戻るぞ」 「…はい」 か細い声で返事をし、小さな足取りで山を降りていく。レイヴンはその小さな後姿から視線を外し、サモドア山道へと視線を落とした。 その二つの漆黒の瞳でしっかりとサモドア山道へと焦点を合わせ、ラキオスのスピリットが猛攻の中を切り抜けて撤退していくのが見える。 漆黒のハイロゥを持ったスピリットたちは全滅し、山道に残るはバーンライト側の負傷したスピリットたちのみ。 そんな彼女たちの一人に男が近づいていく。 一人のスピリットがうつ伏せに倒れ、手足が可動範囲を大幅に上回って身動きが取れないでいる。 男はそれは傍らで見下ろし、おもむろに腰に差していた剣を振り上げて彼女の首を貫いた。 突かれた彼女は声を上げられずに痙攣を起こし、やがてマナへと還っていく。 男はニタリと微笑んでいる。次の獲物を捉えようと視線を上げるも、神剣魔法によって回復していくスピリットたちの姿が目に入った。 回復魔法を唱えた張本人はリアナであった。彼女はレイヴンの指示でラキオス撤退時のバーンライトのスピリットたちの簡易治療と搬送を任された。 フィリスも歩けないスピリットたちに肩を貸し、ウイングハイロゥを展開して早急に搬送していく。 その光景に眉を寄せる男だが、小さく嘆息すると即座に帰路へと足を運ばせる。 数秒間、山道を見据えていたレイヴンだが何事も無かったかのように自身も帰路へと足を向ける。 腰から真紅の翼を展開させ、下山しているシルスを宙で拾って下っていく。 この後、シルスが先ほどまでとは別の意味で顔を青ざめる事となるのは余談であろう。 「人がシリアスになってるのに、なんてことしてくれんのよ!?」 「元気に怒鳴っているぞ」 「うるさいわよ!」 ――どがっ! そして、シルスが『連環(鞘入り)』でレイヴンを殴ったのも余談である――。 …………… ………………… サモドア山道に隣接しているモジノセラ大湿地帯。ミネアとのサモドア山道を開通する際に障害となった大規模な天坑がそこにある。 天坑の底は遥か彼方と言って良いほど深くあり、それがかなりの大きさとなればその深度もかなりの深さとなる。 数百メートルは確実にあるだろうその穴の底は深すぎて上から覗き見ても暗闇が広がっている事しかわからない。 だがしかし、底から上を見上げれば逆に空にぽっかり空いた穴から光が差し込んでいる様に見えるだろう。 まるで闇の中にただただそこにあるだけの一点の差し込む光。何も見えない闇の中で唯一自身を認識でいる希望とは誰が言った。 それが叶わぬ虚構と現実の狭間であるとも知らずに人は自身に都合の良い解釈しかしない。 人は高度な思考能力を得た代わりに世界を蹂躙する大罪をも背負う事となった。 世界を我が物顔の様に徘徊し、他の知性生物や植物を観賞用・食用としてしか見る事はない。 生き残った者が勝者であり、敗者は勝者に屈するしかない。それは当然のことであり、世界の在り方なのかもしれない。 では、勝者足り得る存在が世界に存在しているに全く動かないでいるというのはどうなのであろうか? モジノセラ大湿地帯の天坑の底。暗闇と空からの細やかな光以外に見る事が叶わないはずの場所の一角に、淡い青白い光が灯っている。 それはマナの結晶を微量に含んだ岩が自然に発光しているためであり、世界にはこうしてマナが局所的に活性化し、マナ結晶体になれる場所が存在する。 諸説ではそういった場所には以前、龍がそこに住み着いていたために残滓のマナが残留して周囲の物質に溶け込んだと言われている。 建築物などの建物にエーテルを利用した特殊な施設を加工するというのとほぼ同じ原理であり、ゆえにそういう考えがなされた。 この場所においてその説が正しいと証明する要素が存在し、それは静かに息を潜めて眠っている。 巨大なその黒い身体を淡い光が映し、眠りの際の静かな息遣いは唸り声となって周囲を轟音で振動させている。 遥か地下にいるためにその声はおろか、巨大なマナの気配すらも地上へと届く事は無い。 世界の中に存在しつつ、その存在が隔絶されている独立した世界が形成されて時の流れを遅延させかねない空間となっている。 背中に大きく生えている翼は折りたたまれて収納されて皮膚に突起物があるようにしか見えない。 『――――』 それの息遣いが一瞬止まり、再び開始するとともに背中の翼が展開していく。 身体から少し長く伸びた首を起こし、瞼を上下に見開いたので起床した事を示していた。 赤い瞳が光となって輝いている。この暗闇の空間で、第三の光となっている灯っている。 そして常時しゃがんでいる様な姿勢で立ち上がり、長く太い尻尾を振り回して体の調子を確かめている。 ――その姿はラキオスの国旗に描かれているリクディウスの龍と非常に酷似した姿の龍。 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…… 呼吸をするのにあたってこの巨体がすれば確実に周囲は震え上がる。 だが今の龍は呼吸をした事による振動にしては低重音で周囲を震え上がらせていた。 唸り声をあげているのだ。まるで何かの存在に警戒し、相手を威嚇するとともに自身を活を入れている。 『何者だ、貴様』 透き通るような声。人間の男と女を混ぜ合わせたかのような声が龍の口から発せられた。 全てを選定せしめとするような声の先には暗闇しかないが、存在そのものが龍に視線の先に存在している。 『貴様は人が踏み込む事の叶わぬこの場所へと踏み入れた。 妖精なれば可なる所業を成し遂げ、今此処に存在せしり。 されど貴様は妖精に非ず、ゆえに人に非ず――答えよ』 未踏の地。誰もその場所へと足を踏み入れる事が叶わないとされる場所。 人が踏み入れる事などありはしないのだ。それが今、覆されようとしていた。 「我は人。我は個であり、全をゆく者。 ――汝はこの世界の障害にして守護する者とお見え受けする」 光の灯った場所へとその存在は現れる。それは人であった。 五感が全く役に立たない暗闇の中で、人は軽やかに歩みを進めている。 「我は汝に頼みが有るがゆえに此処の地へと足を降ろしたり」 『私は貴様の求めを否する。私は世界を留め、世界を存在し続けるためだけの者なり』 「全て承知の上なり。我はそれを有知し、尚も何時に頼み申す」 唸り声が轟く中での静寂。お互いに最小限の言葉を交じり合わせるだけである。 それでもその言葉の中に含まれる意味は十分に相手へと通じていた。 『――貴様は私に何を求め、利を得ようとする』 「我は彼の帝国の傀儡となりつつある地に住まいし者。 その地において人は更なる力を得ようと世界の源を求めて再起を目指し、一度手放そうと蠢く。 我は汝に望みし事は、手放す数刻の時を汝の世界の障害せしめん力で秩序を守りし事なり」 『――――』 唸り声が止み、龍の呼吸する振動のみがこの空間を揺るがせている。 「無論、対価を有して参じた。我は廃れたる地にて守護する役目を放棄し、自らも肉体を捨て去らんとした者の想いの欠片を持している」 目を瞑り、思案をする龍。姿形は大きく異なるもお互いの立場は対等。 人は何も臆することなく龍の傍らに立ち、見上げている。 『……私は貴様の求めを受け入れる。その対価に見合った成果と成らん事を望まれよう』 「――我が願い、受け入れし事に感謝する」 人は懐から袋を取り出して中を開けて取り出した。中からは人間の両手では包みきれない程の大きさの青白いマナ結晶体が姿を現す。 結晶体の中にまるで小さな灯火でも封じ込めたような模様が刻まれており、命を封じた様にも見えかねない。 龍はそれを見据え、間の前に居る人が真実を語っていた事を視的にも確認をした。 『――私のささやかなる疑問に答えて貰えぬだろうか…?』 先ほどの重苦しい物言いとは違う、柔らかな物言い。人は龍を見据えて黙して先を促している。 『両の耳に付けしその命の欠片に、貴様は何を思う?』 「我は何も求めず、ただそこにあるものの行く末を見届けるだけ」 淡い光を受けて人の耳に身につけている小ささ結晶は淡い光を反射させる。 そして人もまた、その漆黒の瞳からも反射させて龍に向けて小さく笑う。 「俺はただ見届ける。それだけだ」 『――フッ…』 その言葉に、龍もまた笑う。両者の瞳はお互いを睨み合う様に視線を交えている。 全てを飲み込む漆黒と全てを超越して根源たるものを放っている赤き瞳。 『私の名はクロウズシオン。この大地の門を守護する者なり』 「俺の名はレイヴン。世界の理の中で空を羽ばたき、見下ろす者」 二つの存在は此処で知り合った。ただそれだけである。 それを知るのもこの二つの存在のみであり、他の何も知るものはいない。 ――ただ、それだけである。 |
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