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Before Act
-Aselia The Eternal-

第ニ章 バーンライト
第八話 「 想いの燐片 」



夕陽色に染まるサモドア山脈とその山間にある山道。
黄昏の時とはまさしくこのような時刻の色合いを示さんばかりに山が赤く染まり、太陽は煌々と茜色の光を放っている。
太陽から差し込まれる光の色合いはこの大地へと差し込む光が大気への入射角が浅くなった事で赤色を主体とした光のみが降り注ぐ。

それは専門の学者や勉強で学んだ人間から捉えた観点であり、それを知らない者たちから見ればそれは意味を為さず、大自然の神秘である。
例え即在概念の原理を知っていたとしても、その光景を目の前にした際には目を奪われてしまうだろう。
人間は飛べない。ゆえに地上から沈みゆく太陽の光景を見上げる美しさを知っている。

――では、空を飛ぶ鳥は一体どうであろうか?

雄大にそびえ立つ針のような山々。地上からはその極一部の山の表面へと差し込まれた光で真っ赤に染めているのが見えるだろう。
だが、空から見下ろせばそれは壮大な風景となり、圧倒的な赤がその目に映しこまれる。
太陽が地平線へと沈む事によって広大な日陰が山の中に発生する。地上からも場所によってそれは覗えるが、やはり限界がある。

空から見下ろすという行為そのものが、人には不可能なのである。
鳥は大空から地上に蠢く小動物という点にも似た小さな的を狙って悠々と空を羽ばたく。
風景を見ている行為はしないだろうが、人は空に――鳥に憧れる。有限であるのに、無限を感じずにはいられない人の想いは――。


「――綺麗…」

ぽつりと漏らすのは感嘆の声。その声の主であるシルスは今、戦場に向かって滑空している最中であった。
その傍らにはフィリスとともにウイングハイロゥを展開し、三人の中で唯一翼を有していないリアナを抱えている。
戦いの場へと着けば感傷に浸る暇もないのだが、今はその余裕があるために眼下に広がる幻想とも言える黄昏の景色を観賞していた。

滑空による風を切る寒さを肌に感じてはいるが、軽くオーラフォトンの膜を張っているお陰で体温低下による身体への影響はそれほど無い。
一回目のの滑空である程度コツを掴み、目標地点までの誘導はフィリスに任せている。
何度も空から目的の場所まで降り立った経験があるらしく、先ほども見事にリアナをラキオスのレッドスピリット勢のど真ん中へと投下出来た。

スピリットの枠を逸脱した技術。最も、スピリットだからこその可能とされる手段である事は確かなのだ。
それを見出したあの人間。人の身でありながらも翼を有し、そして飛べる。フィリスとリアナを連れていた事といい、謎が多い。
以前、童話や歴史書から得た知識に『エトランジェ』という異界――ハイペリアからの使者がこの地に降り立ち、強力な神剣でこの大地を駆け巡った英雄がいる。

あの人間が持っている青白い剣。あれは神剣なのだろうか…?
神剣と直接交わらせて折れない剣など神剣以外にこの世界に存在するのだろうか?
あの剣からは神剣の気配は何も感じず、あの人間の戦闘能力そのものにシルスは負けはせずとも勝てない。

(……わからない)

風を切ることによって身体周辺に生じる乱気流の渦になびく黒髪。
フィリスたちと固まって一つの滑空する塊として太陽光の赤と影の黒に染まる中でシルスは一人思いに耽る。
あの人間をエトランジェと片付ければそれまでだが、本当にそれでいいのかどうか判断がし切れないのだ。

「ねぇ、フィリスたちを連れていた人間――レイヴンっていうのはどんな人間なの?」

「ふにゃ? んん〜〜……美味しいご飯を作ってくれる人っ!」

思わずズっこけたくなる衝動に駆られたが、今は滑空中なので下手に動いたら落下してしまうので堪える。
少し悩んで出たフィリスのその答えにあたしは聞く相手を間違えた思いに駆られてしまう。
欲しかった答えと微妙にずれているので、どうしたものかシルスは悩む。

「――大切な姉を…最後まで看取ってくれた、優しい人です」

懐からの声。少し聞き取り辛かったが、リアナは確かにそう言った。
見下ろすが、顔は下を向いているために表情は覗えない。それでも抱えている腕から伝わるリラックスから来る筋肉の緩みが、あの人間に対する信頼を感じる。
それと同時に震えも生じているため、一体どういった思いが今のリアナにあるのかはわからない。

あの人間への恐怖か信頼か。だが、優しい人と言わしめるまでの価値があるのだろうか、あの人間に?
それと言葉に出てきた『大切な姉』とは一体…?

(それって――レイナって死んだ子の事なの…?)

サモドアの詰め所でその名の子を聞いた時に見せたリアナの反応。
あたしの知らない何かでリアナはあの人間に信頼を寄せつつも、その胸の奥に何かを秘めているようだ。
それが一体なんであるのか?……他人のあたしが知る由も無かった。

「あっ、少し曲がる〜」

フィリスが声を上げて少し右へと機動を変える。あたしもそれに合わせて右へとずれていく。
直後に右から突風が吹き、あたしたちはそれに煽られて左へと流された。右へと移動して左へと流された結果は変わらないの軌道を辿っている。
風の流れを読み、進むべき道を最短で進める一番の動き。事前に察知できたフィリスに対し、あたしは何もわからなかった。

「風って見えるものなの?」

「ん〜ん。なんとなく〜」

どうやら勘らしい。何回も飛んだともいえる滑空をしている内にその身に風の流れを覚えたのだろう。
一体どうすればそんな事を可能としたのか興味がある。癪だけど、今度あの人間に教えてもらうとしよう。
スピリットが人間に教えを請うなんておかしな話だけど、あの人間なら出来そうに思えた。

……………

山に反響して木霊していた爆発音が大きくなってくる。
太陽がかなり傾斜しており、フィリスたちは太陽を背に身を隠すためにほぼ水平に滑空していた。
目的の場所まで後数百メートルほどであるが、今の彼女たちの滑空速度ではあっという間である。

「リアナはあたしが投げ上げて下ろすわ! 今度はフィリスとあたしが先行よ、いいわね!?」

「はいっ!」

「いつでも!」

最小限の会話で二人への確認を終える。長く話しても、もはや着地態勢に入っているため既に戦場である。
距離だけ見ればお互いを視認して編隊を整えて駆け出す段階であるが、彼女たちは既に相手の懐へと飛び込んでいるのだ。
シルスが身体を反転させてリアナを上へと投げ飛ばす。リアナもタイミングを合わせたため力はそんなに必要なかった。

「あたしが前に出る――いくわよ!!」

「うにっ!」

彼女たちの奇襲を知る者はもはや極一部の未だに生き延びている者たちだけだが、そんな彼女たちは太陽の中から再び迫り来る影への警戒など出来ようも無い。
気がついたときには既にラキオスのスピリットの何人かは斬り裂かれてマナの霧へと還ってしまうのだから。

フィリスとシルスは直ぐに着地はせず、ラキオスのスピリット勢の中を飛び去るように通過するしながら剣を振るった。
シルスは身体と翼を鋭く捻った動きで二人ほどマナに還し、フィリスも始めの一人をマナに還して数人を吹き飛ばしている。
フィリスはそのまま通過はせずにラキオススピリット勢の背後を突く形で着地をし、シルスは山肌に激突寸前で旋回して山肌を駆けて横斜め上から再度肉薄する。

投げ上げられたリアナはシルスが再度攻撃を仕掛ける際に、ラキオススピリット勢の前線崖側の背後から迫る場所に降り立った。
完全に背後を突いたフィリスとリアナ、そして山側の真横から迫るシルス。前方にはバーンライトのスピリット勢にもう一方の真横は崖。
数の差そのものを考えなければ、完全にラキオスの前線にいるスピリット勢は完全に包囲されてしまった。

最前線でバーンライトのスピリット勢と神剣を交じり合わせているラキオスのスピリットたちはフィリスたちの存在を確認できず、やや後方にいる者たちは気付いて少し動揺している。
数そのものはたった三人であり、決して突破は出来ないわけではないためである。
ゆえに神剣魔法のキャンセルのために控えていたブルースピリットが動き、レッドスピリットが神剣魔法を唱え出す。

だがここで、彼女たちは突然現れた三人のスピリットの配置を配慮せずにいた。彼女たちは三方向にそれぞれ独立して立っている事を。
滑空速度をなるべく殺さないように再度迫ったシルスがこちらへと矛先を向けるブルースピリットと剣を衝突させる。
自身を弾丸としたシルスの斬撃は交えたブルースピリットのオーラフォトンを突き破り、相手の神剣に軽く亀裂を生じさせた。

「はぁっ!!」

そして攻撃の重みに踏ん張るしか対称法が無い相手に、即座に宙返りをして下段から切り上げてマナの霧へと還す。
いわゆるバック転の要領であり、斬る動作そのものは上段斬りそのものであった。

背中の翼の助力を借りてふわりと着地。長い黒髪が鮮やかに舞う傍らから、グリーンスピリットの槍が真っ直ぐに迫る。
それと相まってシルスの背後からもレッドスピリットの双剣の薙ぎ払いが迫り来ている。

(――っ、まだ!)

直ぐにでも身体を動かして避けたいという無意識を自制心で抑える。
ここで動けば確実に二対一という完全に不利な状況で戦わざる得なくなってしまう。
この初撃だけが唯一、二人ではなくニ方向からの一人の攻撃となるという勝機が存在するタイミングである。

既に眼前と言って差し支えの無い神剣の矛先。どんなブラックスピリットでも、ここまで迫れば無傷では済まない。
だが、彼女は避けた。確かに無傷ではないものの、それは長い髪の毛が数本薙ぎ払われただけである。

これがシルスティーナのブラックスピリットとしての“速さ”であった。

攻撃をしてきた二人のスピリットが逆にマナの霧へと還された。金色の粒子のカーテンを纏い、低い姿勢の斬り払った姿勢でシルスはその場で浅く息を吐く。
死ぬかもしれないのに逃げたい衝動を抑えた恐怖。上手く動けるかの不安。そして自身は成功させ、生きている事への安堵がその一息に含まれていた。

「あの人間の言った通りってわけね。なんかムカツクけど」



『お前の居合は遅い。ブルースピリットに居合をやらせた方がまだ使い様がある』

『どうせあたしはノロマですよ…』

『話の聞け。お前の居合が遅いのは持続加速能力が低く、変わりに瞬間加速能力に長けているためだ』

『……何よ、それ』

人間との戦闘後に言われた言葉。シルスはあまりにも突拍子の無いものなので聞き返す。

『通常、居合は最初に踏ん張る事で最初の加速(初期加速)を得て次の足によって加速(瞬間加速)を補佐し、相手の懐までの迫るまでの速度維持の加速(持続加速)で成り立っている。
この時に背中のウイングハイロゥを併用する事によって初期加速と持続加速能力を向上させている。瞬間加速に関してはやはり使用者の技量次第だ。
だが、シルス。お前の場合は初期加速に関しては問題はない。問題があるのが持続加速。途中で減速してしまっている。初期加速の時点で姿を見失わなければ避けられる要素が増大する。だから俺にすら避けられた。
補助するはずのウイングハイロゥも同様に持続加速には機能を発揮していない。その変わりに珍しく瞬間加速に対して特化している――ここまではいいか?』

『――ちょーーーっと待って…?』

初期加速やら機能やら、ちゃんと聖ヨト語で喋っているのにまるで未知の言葉で話されている錯覚に襲われてしまう。
こめかみを指で抑えて人間の言っていた意味を理解しようと頭をフルに働かせて考える。

『要するに居合をするのに三段階の加速が必要であって、その中で最後の段階の加速が遅くて上手く行かない。
だけど最後の加速が遅い変わりに二段階目の加速が他のブラックスピリットよりもかなり速い…って事ね?』

『そうだ。役立たずと言われつつも施設に潜り込んで色々と読書して勉強していただけの事はあるようだな』

『ま、まぁそれほどでもぉ…――って、何で知ってんのよ!?』

『そんな事よりも話を続けるぞ』

驚愕するシルスは流されて話は進められる。

『居合は基本的に中距離戦闘用の攻撃手段だ。鞘から抜き差って振るうまでに距離が必然的に必要となるからだ。
だが、お前は近距離には対応出来るがそのための居合は距離が近いために上手くいかず、常時防御の後手に回っていた。
模擬戦では常に攻撃が防がれるが、反撃されても受身は取れていただろう?』

『そういえば…攻撃そのものはそんなに直接身体に受けた記憶がそんなにないかな』

さきほど人間の鞘を背に受けた以外に身体に攻撃を受けて傷を癒してもらった経験が少なかった事を思い出す。
攻撃に失敗して反撃される事がほとんどだったけども、身体への直撃は受け流していた。

『その場での立ち回り――初期加速に対する次点での身体の動作を実行させる瞬間加速が優れている証拠だ。
性質的にはグリーンスピリットに近いが、神剣の形状上シルスの攻撃手段の方が格段に上だ。お前は中近距離戦闘が向いている』

『中近距離って一体どれぐらいなの?』

『大体お前の居合で出される二歩目で踏む足から神剣を伸ばしきった辺りまでだ。つまり、最短での居合を可能とする距離までだ』

つまり殆ど自分の周りぐらいしか攻撃範囲が存在しないという事であり、要するにに自分はやっぱり役立たずである事を立証されただけ。
自分の特性は理解できたけど、出来たは出来たで結局は何の解決にもなっていなかった。結局凹む以外にシルスが取るリアクションはなかったのである。

『何故悲観する。持続加速そのものはブルースピリットより速いのだから問題はない。むしろお前はブラックスピリットの中でも強い力を秘めている』

『……え?』

『実戦でなければ自覚できないだろうがな。これから今まで居合で身体に染み付いた癖を矯正する――リアナ』

『はい』

フィリスを近場の壁に寄りかからせて『彼方』を手に近寄ってくるリアナ。
自分が結構強いという言葉に理解が及ばないうちに人間の傍らまで歩いてくる。
人間も自然に腰の鞘から剣を抜き出し、背中から金属の棒をもう片方の手で取り出した。

『これからリアナも交えての双撃を行なう。完全に防ぎ切るように』

『え、ちょっと待っ――』

『待ったは無しだ。腰はしっかりと落としていないと動きが浮くぞ。始める』

この後、シルスは声を上げる事すら暇のない攻撃が日が完全に傾くまで続いたのであった――。



(――思い出すだけで悪夢だったわ…)

戦場における攻撃する存在が消えた際に生じる間。
この間に身体の体勢が次に行動へと移行できるように調整し、息を整えて意識を切り替える。

あの人間の言っていた事は確かであった。
自分からの長い距離でも攻撃は防がれるものの、新たに構築された(半強制的に)攻撃範囲に入った者は即座に切り伏せられる。
瞬間加速は高機動の要。その軌道修正に特化しているシルスだからこそさっきのニ方向からの攻撃を置き去りに出来た。

初日の連戦と奇襲によってラキオスの熟練したスピリットたちが減らされ、夜を迎えるに当たって主力を引かせていたとしても、ラキオスのスピリットたちの実力は確かである。
それこそシルスの周囲にいるラキオスのスピリットの殆どは、エーテル保有量そのものがシルスを大きく上回っていた。
それを打開できた最大の要因が立ち回りの差。神剣そのものの強化ではなく、スピリット自身の身体能力の強化である。

「アイスバニッシャー!」

フィリスが詠唱をしているレッドスピリットの一人を凍り漬けにする。
束の間の静止するレッドスピリットにリアナが投擲した『彼方』が突き刺さり、凍結の氷が砕けて金色を交えた霧が立ち昇った。
無防備となったリアナに迫ろうとするスピリットたちをシルスが神剣魔法のダークインパクトの衝撃波で牽制しつつ『彼方』の回収に滑走して行く。

途中でブルースピリットが立ち塞がるも、自身の瞬間加速の特性を生かして相手の攻撃範囲の寸ででステップを踏んで通り過ぎる。
あの人間が言うにはこの動作は『ばすけっとぼーる』という遊びで用いられるものだとか。
相手にこちらの次の行動予測を裏切り、尚且つ状態を仰け反らせる事によって急減速したかのように見せかけるらしい。

その点において翼のハイロゥを持っているシルスはステップを踏む動作以外に自身を動かせる要素を有しているために更に有効となっている。
置き去りにしたスピリットたちの足に数瞬の間でも追撃をさせないために軽く切り裂いていく。
案の定、背後からの追撃は皆無であり、地面に転がっている『彼方』を空いている左手で掴み上げる。

滑走速度をそのままにリアナの前に立って護衛しているフィリスに切りかかっているスピリットの背中目掛けて『彼方』を投げ飛ばす。
背中に突き刺さり、金色のマナへと還るスピリットの背中からリアナは『彼方』を引き抜いて構え直した。

「アイアンメイデン!」

崖淵寸前で止まったシルスは神剣魔法を発動させる。
ブラックスピリット詠唱をキャンセル出来る神剣魔法が存在せず、最寄のスピリットは全てシルスが一時的に行動不能としていた。
仲間の治癒をしようと詠唱をしていたグリーンスピリット周囲のマナの気圧が急激に変動し、極度に気圧の差が生じている空間は衝撃波の刃と化す。
エーテルの身体はその煽りを直撃し、何も無い空間の中で串刺しとなる。

直接的なダメージは軽微だが、体内循環しているエーテルの流れは完全に乱れてしまった。
戦闘中であるスピリットは特に体内エーテル循環を高速・効率化しているために急激な乱れは細胞変化の如く多大な影響を被る。
レイヴンに対して行なってもそれほど大きな効果を上げられなかったのは、彼の体はそれほどエーテルで構成されていなかったためであった。

「っくはぁ!?――っ…」

詠唱を続けられるだけの機能を不随とされ、グリーンスピリットは詠唱の途中で膝をついてキャンセルされた。
その傍らではリアナが風の加護を発動させてフィリスとともにラキオスの退路方面から攻める。
シルスは前線とその中間――崖側の真横から攻める。戦力そのものへのダメージは軽微であるが、前線への援護を出せない自体はラキオスにはかなりの痛手となっている。

前線で戦っているラキオスのスピリット勢も、援護が無くなった事に気がつくとともに自分たちが殲滅されていくのを認識させられた。
一時退却の前になるべくバーンライトの戦力を削るはずが、逆に自分たちが削られていっている。
それに気が付いたラキオススピリット勢は前線のバーンライトのスピリット勢を牽制しつつ徐々に退却していく。

シルスたちは退却するラキオススピリットたちへの積極的な攻撃はしないものの、チクチクと突いているためにラキオススピリット勢の退却は難航した。
レッドスピリットによる攻撃魔法がなかっただけマシではあるが、その背後からは反撃とばかりにバーンライトのスピリット勢も追撃してきている。

彼女たちは損害覚悟で退却速度を速め、サモドア山道の道を縫って引いていく。
バーンライトの方でも、もう既に暗闇に差し掛かっているので追撃を止めて退却をしていった――。



「任務終了、ね」

双方のスピリット勢が引いた山道でシルスは呟いた。
たった三人で奇襲・撹乱の連続戦闘で彼女は元よりフィリスもリアナもかなり消耗している。
着ている服も所々が切り裂かれ、傷そのものはリアナの治癒魔法のお陰で完全に塞がっていた。

「これからまたひとっ飛びは辛いわねぇ…」

「うにっ」

「――お願いします」

飛べないリアナは申し訳なさそうであるが、回復させてもらっているのでシルスは別段責めない。
この場にあの人間がいて同じ事を言えば蹴りを入れてるだろうけど。

「んじゃ、完全に暗くなる前にさっさと帰りますか」

リアナを抱え、ウイングハイロゥを再び発現させた二人は崖から飛び降りる。再び向こうの山へと滑空するのではなく、そのままサモドアへの舵をとって山を縫っていく。
既に暗闇と化しつつある山への滑空は衝突の危険性が極端に高まり、ましてや戦闘を継続させるわけではないので帰還の途についている。

これも作戦開始時に指示されていたものであるが、山道を道なりに進んでいけば味方と鉢合わせして矛先を向けられかねない。
山道の下を通過する滑空ならば安全であり、空を進んでいるために山の間をスムーズに進んで行ける。
山を抜け、開けた闇夜に染まった草原の先に、サモドアの夜の街がそこにはあった。

街を覆う外壁から覗く壁の窓から灯りが漏れ出ており、壁の上からは街の仄かな光とエーテル変換施設から立ち昇る金色のマナの柱が確認できる。
柱はどこまでも高く立ち昇り、雲の上より先まで上っているようであった。シルスはそれを見上げる。

「――あの先に、ハイペリアが…」

人々が死後に逝けるという世界があの先に。その逆のバルガ・ロアーからの使者という災厄の存在――それがスピリット。
希望と絶望。希望の道筋であるあの柱を絶望であるスピリットは自身の身体として成す。
対なるものである二つの存在が一つの結びつきと有している。これはどんな因果なのだろうか?
マナは世界を構成し、エーテルは人々の文化を育んでいる。ではその世界に居るスピリットたちは?

――戦争の駒として戦いに使われ、人はその存在を蔑む。

「あっ! あそこ〜っ!」

フィリスが嬉々とした声を上げたのでシルスは思考を中断して顔少し先の草原に向ける。
漆黒の色に殆ど染まった草原の中にかすかに白い何かがぽつりとあった。
そこに向かって滑空して迫るとそれは人であり、あの人間が一人で佇んでいた――。

……………

「無事に帰還を果たしたようだな」

「お陰様で。あたしたちの勇姿を最後まで見ずにさっさと帰ってったあんたに見せたかったわ」

「お前たちが帰還の途についてから俺も帰還をした。一部始終見ていたぞ」

レイヴンの傍に降り立ってから直ぐに交わされる言葉。
最後まで見ていた。それはつまり彼女たちより遠くの場所からであり、彼女たちよりも遅く帰還し出したのに早く帰った事になる。

平然と言い返されたシルスはこの世の不平等さに初めて呪った瞬間であった。
スピリットは常時優遇されてはいないが、それでも身体能力その他が優れているのに負かされたのには納得がいかないのだろう。

「そう。あたしたちは連戦で疲れてるから遅くても仕方が無いわよねぇ〜?」

「含みのある物言いをするのはお前の勝手だが、言いたい事があるのならはっきり言う事だ」

「別に何か言いたい事なんてないわよぉ?」

「そうか。なら、これはいらないのだな」

手に持っている箱を掲げられる。その箱にはどこかの店のラベルが描かれ、香ばしい香りが漂って来る。
フィリスが即座にがっついたが、彼女の手が届かない高さに掲げられて四苦八苦している。

「初仕事の祝いに街一番と城下で噂されている菓子屋の菓子を色々と買って来ておいたのだが、シルスはいらないのだな。
お前が成功した時の見返りを要求したからこうして買ったのだが――いらないなら仕方が無いな」

「ぐっ…!?」

箱の中から袋詰にされたクッキーを取り出してフィリスに渡す。開封したフィリスは直ぐ一枚食べるとうっとりとした幸せ全開の満面の幸福顔をした。
ぶうたれていたシルスのこれには心動かされる。戦場に出て帰ってくるまでの間何も口にしておらず、お腹もかなり空いている。
香ばしい香りはクッキーのみならず、リアナにパンケーキを渡していた。思わず生唾を飲み込んでしまう。

「どうした? 何か言いたい事でもあるのか?」

「ううう〜〜〜…」

いつもの仏頂面ではなく、しっかりととぼけた顔で尋ねてきている。絶対にこちらの考えている事を読まれている。
うめいて抵抗を続けているが、目の前の見た目も香りも良いお菓子を前にしてどうしようかと苦悩する。
空き空きのお腹は今にでも鳴り出しそうだが、この鳴り出しそうで鳴らない感覚がさらに苦悩を呼ばせていた。

「戻るぞ」

「ふあ〜〜いっ」

「はいっ」

「――はーい…」

各々の返事を聞きつつレイヴンはサモドアに向けてきびを返し、フィリスは彼の背中に飛びつくも彼はしっかり背に乗せて背負う。
リアナはその様子を微笑ましそうに眺めつつ後を追って歩く。なんとも微笑ましい光景である。
そしてそれから更に一歩二歩ほど下がった所でシルスも後を着いて行っていた。もちろん俯いてドンヨリな空間を出して。

(あそこでああ言わなければ良かったかな。それともあそこは懇願するより奪えば良かったかな。ああ、それともいっそのこと神剣を使ってやれば――でも、通用しないだろうなぁ)

一部物騒な事をぶつぶつ呟いており、手の出来なかったお菓子に未練たらたらである。

「シルス」

声をかけられて顔を上げるとリアナが何時の間にか並行して歩いていた。
そして小さく微笑んで片手を上げてその手にある袋を差し出してくる。
受け取って中身を見てみると、それはふんわりとしたパンケーキであった。

少し驚いてリアナに顔を向けると、人差し指を自分の口に当てて内緒の合図をしてクスリと笑った。
前方では背負われてお菓子を頬張りつつ人間と話している後ろ姿が見えるだけで、こっちに気がついている気配は無い。
確認をしてからシルスはパンケーキを一口頬張る。見た目よりもモチモチとした歯ごたえとトロッとした甘いクリームが口の中全体に広がる。

思わず頬が緩み、幸せな笑みを浮かべてしまう。
もう一口頬張ってみると、甘味が広がっていた口の中にまた新たな甘さとモフモフ感が広がっていく。
隣でリアナが嬉しそうに微笑んでいるのは、自分がそれだけ幸せそうに頬を緩ませているからであろう。

(――ん…?)

一瞬、視界の隅で人間がこちらを見てニヤリと笑っていたような気がした。
直ぐに視線を向けるも、人間は前を向いてこちらに背中を見せているだけである。
一旦食べるのを止めてその背中をジッを睨む。何の反応も返ってこないのが逆に怪しさを増させる。

「……やっぱり何かムカツク」

そう呟いて手の中のパンケーキに齧り付く。
再び口の広がる美味しさにシルスはこの至福の時を満喫する事に脳内議会は満場一致していた――。


……………
…………………


ラキオスの突然の総力戦と言わんばかりの戦力による侵犯の初日はどうにか防げたバーンライト。
戦闘境界線は山道内での退却で殆どリセットされ、次の日の初戦闘でどこまで境界線を上げ下げするかで次手も変わってくる。
両国のスピリットたちは山道の麓付近で哨戒と休息を寝ているが、ラセリオとサモドアの攻め入る街の人間たちは深夜であろうと動く。

戦いはスピリットの役目であるが、作戦立案や政治交渉は人間の役目である。
最も、過去のサモドア山道において立案されて実行された作戦は全て似たり寄ったりであり、交渉も勝ってからのモノ。
要するにスピリットの戦いで完全に優劣がつくか両国が疲弊して停戦するかしかないのであった。

曇り空の雲の隙間から覗く月は大きく丸い。月の光は雲が多いお陰で暗い地上を照射するように所々に明るい光を差し込んでいる。
いつもならほとんどか暗闇で城の窓から覗く灯りは薄暗いものだが、今はほとんどの窓から煌々と灯りが灯っていた。
それでもそれとはまるで別の空間のごとく静寂で暗い世界を構築しているスピリット関連施設周辺。

ラキオスとの戦闘で山道の麓に殆んどのスピリットが出払っている詰め所はとても静かであった。
詰め所の近くに佇む数本の大木。大きく背を伸ばし、その枝に豊富に緑を茂らせている根元に二つの影が幹を挟んで立っている。

「押されていたこの国のスピリットが今日を耐え切った。主戦力ではないスピリットだけで大したものですねぇ」

はっきりとした物言いであるが、それでいて発せられる言葉そのものは含みのあるものしか発していないのはその人物の特性だろうか。
大抵の人はこの声に対して多大な嫌悪感を発するであろうが、もう片方の影は何の反応を示さない。

「あなたですね? 手助けをしたのは。あんな幼いスピリットたった三人でラキオスの精鋭を押さえつけるとは実に興味深い」

発する言葉に興奮と悦びが如実に含まれており、最後には堪えきれない笑い声が滲んでいる。

「――奴らは完全に独立した部隊だ。この国の正式な訓練士や役所に就いていない貴様が手を出すな」

佇んでいるだけだったもう一方の影が呟く。対称的なその冷静な物言いはもう一つの影に笑いを呼んだ。

「ふふふ。わたしはただ純粋にどうすればスピリットをより効率的に手駒に出来るか考えているのですよ。
あなたの連れてきたスピリットニ人は元より、落ち零れの烙印を押されたスピリットが使えたとなると興味が湧かないはずがありません」

「それでも、だ。貴様には貴様のやり方があろうのだろうが、こちらにもこちらのやり方がある。不用意な手出しはするな――これは警告だ」

最後の言葉を発すると共に突風が盛大に木々の葉を揺らし、葉同士が擦れる音が盛大に鳴り響く。
風が止み、再び静寂の暗闇の中で、一つの影は再び笑う。

「そうですねぇ。今はわたしも何かと忙しい身ですので、今はそちらを片付けるのに手一杯ですし。今度お会いする時にでもお願いするとしましょう」

笑う影が話し終えると同時にもう一つの影が動き出す。

「今回の戦闘における鍵はお前が手掛けたスピリットによって結果が決まる。しくじるなよ」

「わたしが作り上げた作品が失敗するとでもお思いですか? 心外ですね。ちゃちなラキオスのスピリットなど足元にも及びませんよ」

「ならばより一層磨きをかける事だな。“――――”」

その言葉を最後に影が一つ、その場から消え去った。残された影は何時の間にか消えた姿と気配に感嘆の念を抱かせる。
そして笑う影ももはやここに用は無いとこの場から立ち去っていく。

「今回がお互いに初見だというのにしっかりと正体がばれていましたか。抜け目の無い事ですねぇ」

笑う影は呟いた。驚愕に値する最後にかけられた言葉。それは――





『ならばより一層磨きをかける事だな。“ソーマ・ル・ソーマ”よ』






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