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Before Act
-Aselia The Eternal-

第ニ章 バーンライト
第四話 「 種明かし 」



フィリスとリアナの姿が消滅し、この部屋一体が数瞬の間金色の光に包まれた。
ジェイムズ以外のこの場にいる人々は歓声を上げ、シグルがこの上ないほどの笑みを称えている。
一方のジェイムズは、この金色の輝きが薄れていくのをこれからの我々の末路を示しているかの様に静かに佇んで感じていた。

預かっているスピリットが完全に姿を消したのとなれば、彼に対する言い訳は一切効かない。
ジェイムズはフィリスとリアナの残滓を眺め、これが絶望なのかと思いを巡らせる。
そして彼女たちのマナを吸収したエーテルコアを眺め、全ての終わりを―――

「……?」

ジェイムズは自身の目を疑った。そんなはずはない、と。
目を伏せて眉間に指を当て、目をほぐして再びエーテルコアに目を向けるもその光景は変わらなかった。
もはや存在していないはずの“それ”が、そこにある。

「……神剣が未だに健在だと?!」

スピリットが消えた今、神剣も同じく消滅してエーテルコアに吸収される。
今までのスピリットの処刑でそうだったように、今回もそうなるはずである。
しかし、スピリットが消滅した今も『雪影』と『彼方』はエーテルコアに突き刺さったままそこに存在していた。

周囲の人の中からもそれに気がつく者も現れ始め、どよめきが起こり出している。
そんな中、今回の処刑での観測及びマナ供給量の測定をしていた技術士の一人がシグルに慌てた様子で近づき、なにやら呟く。
話を聞くにつれてシグルの顔は驚愕へと変わっていき、最後のにはその技術士に掴みかかった。

「何っ?! マナが全く得られていないだと!?」

「は、はい」

「どういうことだ! スピリットは確かにマナになったではないか、私たちの目の前で!!」

「そ、それがですね。神剣を刺した段階からマナの吸収は起こるはずなのですが、初めからマナが供給されていません。
どういった原理かはわかりませんが、神剣が今も刺さったまま存在しているということはスピリット自体が無事なのではないか?と――」

「では今消えたスピリットは何だというのだ!?」

シグルの怒声が部屋中に響き渡り、責められている技術士の青年はシグルの勢いに尻込みをしている。
お陰でジェイムズを含め、この部屋の人間全員が処刑の失敗を知ることとなった。
技術士の青年もシグルの怒声につられて答える声も大きくなっているので、ある程度の詳細がわかる。

要は神剣がエーテルコアにマナが流れ込まなかったためにスピリットも消えず、マナが得られなかった、と。
だとすれば今、目の前で消えたスピリットは何だったのか? それが最大の疑問である。
シグルに胸倉を掴まれガクガク揺らされている青年もわからないらしく、専門家ではないジェイムズらがわかる由も無い。

「――推測ででですが、あれはななな何かの幻か何かととととしか言い様がななないのですすすがああああ」

「幻? 幻があの様な消え方するはずがないでしょうが!!」

「いや、間違ってはいないな。その考えは」

聞えてきた第三者の声にガクガク揺らしていたシグルの手が止まる。声がした方を見れば、エーテルコアの前で佇んでいるシルスに行き着く。
だが、聞えてきた声は確かに男の声であり、女性体であるスピリットの幼い彼女が発する声ではない。
ジェイムズも声はそのスピリットの方から聞聞こえてきたものと思い、同時に知った声だとも感じた。

「先ほどまでのフィリスとリアナは本人ではない」

再なる男の声。それは確かにエーテルコアの前にいる彼女――シルスからであった。

「幾ら専門ではないとは言え、スピリットの関わる機関の長ならばそんなに取り乱すのは無様だぞ。
バーンライト軍スピリット統括顧問シグル=ネルラ=オウヌ」

「スピリットの分際で私の名を語るな!」

「外見でしか相手を判断出来ないのは些か問題だとは思うが…まぁ、いいだろう」

少し呆れ口調でフルネームを語られて激昂するシグルを一弁するシルス。
彼女はエーテルコア刺さっている神剣の柄を掴み、そのまま抜き去る。

――ズプッ

半固形状の液体から物を取り出すような音を共に抜かるも、エーテルコアには刺した跡は残っていない。
神剣を刺した段階から神剣の刃を包み込むようにコア自体は変形しているので、元々の形に再び変形しただけであった。
シルスは『雪影』と『彼方』をその手に携えたまま、部屋の中央に佇んでいるスピリット2体へと近づいていく。

「そこのスピリット! そいつを殺しなさい!!」

「「………」」

「聞えないのですか!?」

シグルが呼びかけるも、スピリット2体は立ったまま沈黙し続ける。
その間もシルスは喚かれても佇んでいるスピリットらに近づいていっている。

「――さて」

スピリット2体の間にまで来たシルスは人間たちを一弁する。
シグルは未だに喚いており、ジェイムズは眉を潜めて何やら思案している模様。
他の人間たちは予想外の出来事に部屋の隅へと逃げていた。

――トンッ

『雪影』をブルースピリット側に、『彼方』をグリーンスピリット側の傍に突き立てる。
刺さる時に鳴った少しかん高い音が密室に静かに響き渡っていく。

「――夢はここまで」


――パキィィン…


硝子が砕け散るような、鈴が高々に鳴るような高く澄んだ音と共に世界が一瞬変わったような錯覚をこの部屋に居る人間全てが感じた。
ある者は辺りを見回して変わらない部屋を確かめ、ある者は眩暈を感じて立ち眩みを起こしていた。
そしてある者は、部屋の中央の変化に驚愕していた――。

「いい夢は、見れたか?」

先ほどまで居たスピリット――シルスが居た場所に男が佇み、その男に両脇に居たスピリット2体も幼い少女に変わっていた。

――ブルースピリットは蒼く長髪の少女に、グリーンスピリットは長い三つ編みの緑髪の少女へと。

正確には、先ほど消えたはずのフィリスとリアナがそこに居た。いや、代わっていた。
そして神剣も『雪影』は洗練された長身の青白い剣『月奏』になり、『彼方』は金属光沢を放つ棒『凶悪』になっていた。

『『『――――』』』

この部屋に居る全ての人間が沈黙する。幼いスピリットが大人の男になったのだから無理も無い。
それに加え、消滅したはずのスピリットが再び現れたという事実にも、思考が回っていない。
だがこの場で、その黒で統一された髪と瞳、そしてエーテルコアを背に受けて一際目立つ黒の服装を知る者は呟いた。

「――メノ、シアス…」

「久しぶり、と言っておこうか? ジェイムズ」

その男はメノシアス――レイヴン。ラセリオに居るはずの人物がそこに居る。

「いつ、戻ってきていたのだ…?」

「ほんの少しほど前だ――フィリス、リアナ」

「「はいっ」」

彼は背中から長物を二つ取り出し、それぞれに手渡す。それは先ほどまでエーテルコアに刺していた『雪影』と『彼方』であった。
彼女たちは自身の神剣を鞘へと納め、レイヴン自身も『月奏』と『凶悪』を元の場所へと納める。
戻す際に腰の漆黒のダガーが黒光りする。それらは没収されていたはずであるが、剣が全て彼の元に戻っていた。

「貴様がメノシアスとかいう輩か!? これはどういうつもりだ!!」

ジェイムズに続き、2番目に回復したシグルが声を荒げて言う。

「どういうつもり、というと?」

「私の栄えある新たな功績に貴様は泥を塗ったのだぞ!!」

「その功績とやらはこちらのスピリットを処刑しようしたことがか?」

「その通りだ!」

激昂するシグルとは反対にレイヴンは静かに、少し目を細めてシグルを眺めている。

「期限を過ぎれば勝手だが、まだ刻限まで2日はあったはずだぞ」

(――まずい!!)

ジェイムズはそう感づくも、シグルは頭に血が上ってその事に気がついていない。
そして彼がシグルを止めようと駆け寄るにも、距離が少しあるために止められなかった。

「そんなモノは関係ない! 既にそいつらは我が国もマナになる事が決まっているのだ!!」

「―――ほう…?」

「だいたい貴様はまともな情報を持たずに戻ってきただけだろう! そんな物で―――!?」

言葉に詰まるシグル。
彼が詰まった理由はレイヴンが懐から出して掲げて見せた一枚も紙であった。
他の者もそれが何であるかを直ぐに理解し、ざわめきが起こる。

「そんな物でこの国の国王からこんな礼状が貰えたのだがな」

その紙には、バーンライトに対し良き情報提供をした事に対する謝礼文が記載されていた。
そしてその文末には国王からである確かなサインの筆跡が描かれている。つまりそれは――

「条件は満たした。彼女たちの処刑は無効だ」

「――っ」

「それから、彼女たちに手出しはするなという条件に反したからには――覚悟は出来ているのだろう?」

「な、何だと…?」

口端を吊り上げるようなレイヴンの僅かな笑み。
シグルは慄き、先日ジェイムズに言われた事を思い起こす。

゛彼女たちが言わずとも彼ならば感づき、契約違反で報復してくるぞ!"

今がまさにその時。丸腰のシグルに剣を保持しているレイヴン。
状況そのものも分が悪く、同行していた兵士たちがこの人物に通用するか甚だ疑問であった。
青ざめていくシグルに対し、レイヴンは死刑宣告を言い渡し――

「大事な大事なアメリーちゃんに貴様の事で“色々”教えておいたので、後は頑張ってくれ」

『『――は?』』

緊迫した空気が不発し、ジェイムズを含む一同は間の抜けた声を発した。
何ゆえアメリー?という疑問もあるが、それが一体どんな覚悟へと繋がっているのだろうか?
というよりも、それがシグルにどんな影響があるのかわかないのであった。

「あ、あああアメリーちゃんががが何ですっててててええええ????!!」

如実に動揺するシグル。かなりの精神ダメージをこの段階で被っていた。
足はもはや老人のようにガクガク震え、周囲が可哀想に思える程の動揺の図を体現している。
絶対に何かある。それをあからさまに周囲の者たちに教えていた。

「どうした? 妻に内緒で時々会っていちゃいちゃしている御相手が知られてはいけない事でもお在りでしょうか?」

「そそそそんなことよりも、なな何を吹き込んだのですかかか彼女に!?」

「――ふむ。どうやらアメリーちゃんとやらに会っていると見えますが、どう思いますかマドモアゼル?」


――バッタァアアアン!!


出入り口へと向けられたレイヴンの視線。そして直後に勢い良く開かれた扉の先には女性が2人。
一人はキリッとした鋭角の眼鏡をかけてキラーンと輝かせている中年女性、もう一人は峰麗しい貴婦人が目元を涙で潤わせている。
シグルが開け放たれた背後の扉へと目を向け、驚愕に目を見開いた。

「おお、我が妻よ――と、
ママン?!!」

『『『ママン!!?』』』


シグルを除く一同は思わず復唱して叫んだ。
ママン?それはつまり母という意味なのか?
というか、シグルの声が2オクターブほど上ずっている。

「シグルさん! アメリーさんとはどういうことかキッチリご説明して貰えるざますね?」

輝く中年女性の眼鏡。それにたじろぐシグル。

「え、えーーと、あの、その……」

「……シグル様。私(わたくし)とのご結婚は遊びでしかなかったのですね!?」

ブワッと涙を溢れさせる貴婦人。

「それは誤解だよマイハニー。これにはふかーーい事情があってだね――」

「そうですわね。私なんかよりもその『アメリー』さんの方がよっぽど夜のお相手がお上手なのですね!!」

「こんな立派な御継人が居るというのに余所の誰とも知れない腐女子と御戯れなど、不潔ざます!!」

キラキラと顔から雫を零しながら颯爽と逃げていく貴婦人。宙を舞う雫が幻想的に輝かせている。
中年女性が世話しなく眼鏡を上下に上げ下げし、
キラーンキラーンとフラッシュさせる。

「あああ、待ってくれマイハニー!? ママンも僕の話を聞いてください〜!!」

「ええ、ええ聴いてあげるざます!! その前に、場所を移すざますよ!!」


シグルの片耳を引っ張って廊下へと歩き出す中年女性。シグルはなす術も無く連行される。

「ああ!?痛いよママン!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさ――」


――…バタンッ………


『『『………』』』

遠ざかっていくシグルの悲痛な謝り声が扉が閉じた事で掻き消される。
残された一同はあまりにも突然で、嵐のように去って行った出来事に何一つ反応出来ないでいた。
誰もが未だに閉じられた扉を眺め続け、静寂の中に今も扉の向こうから微かにシグルの声が聞えてくる。

「――と、いう事で。これが彼に与えた契約違反の代償だ」

「「「恐っ!!?」」」

「ちなみに、アメリーちゃんとやらには会ってないし何も教えてはいない」

(((いや、今ここで言われても)))

この場での皆の見解は一致していた。

「後、この場に居る全員の分もあるのだが――“まだ”何もしていないので安心して貰っていい。
もっとも。今後何か反する事があれば、背後から少しばかり遊ばせて貰うので気をつけた方が身の為だ」

誰もが何も言えず、ただただ彼の末恐ろしい小さな笑みに戦慄を抱いている。
目の前で殺されるよりも、もっと過酷な事が彼の手の内に隠されていろ恐怖。
各々に思い当たる節があるがゆえに、どれの事を知られているのかわからないのである。

ある者は露骨に冷や汗を流し、ある者は壊れた笑みを浮かべている。
ただ言える事は今後、彼に逆らえない者たちばかりであるという事は確かであった。

こうして、フィリスとリアナの処刑は未然に防がれたのであった――。


……………
…………………


「あのような手段で来るとは予想外であったぞ、メノシアス」

「殺すとでも思っていたのか?」

「会議室での一件を見せられれば誰でもそう考える…」

現在、レイヴンはジェイムズと二人で彼のの執務室に居る。
フィリスたちの処刑が中止となり、シグルが去ったあの部屋の人間たちはそそくさと逃げ去って行った。
見せ付けられたレイヴンの仕返しに、自身にその矛先が向けられるのを恐れたためである。

技術者や兵士たちも我先に帰って行ったため、こうしてジェイムズと二人っきりになって今後の事が話し合えている。
フィリスとリアナには詰め所へと一旦駐留させ、今後の事が決まるまで待たせている。

「まぁ、そうだな。だが違反し、スピリットを処刑しようとしただけで殺されたとなれば禍根を残す。
個人的な力の誇示は今回の場合、適度であれば十分だ」

「随分寛大な配慮にしたものだな。恐れていた自分が馬鹿に思えてくるぞ」

「何て事も無い。生かして弱みを握り、今後使いたい時に使える様にしただけだ。
あの程度の代償で終わりとでも思ったのか、ジェイムズ?」

「――だろうな。貴公が私をこのまま許すとは考えておらん」

彼との交渉をしたのはジェイムズ自身。その相手を処断せずにこの男がみすみす見逃すとは到底思えない。
幾ら未遂とは言え、彼自身が止めていたからこその結果である。
ジェイムズは覚悟を決め、自身に宛がわれている大きめのテーブルから、目の前の来賓用の椅子に腰をかけている男を見据えた。

「そう構えるな。あれはシグルという男が独断で行った行為。ジェイムズには代償というよりも希望を叶えて貰う」

「元より私に選択肢は無い。言ってみよ」

「まずは―――飯を食わせろ」

「……飯?」

「そうだ、飯だ。処刑の件でこの街に帰って来てからまだ飯を食っていないのでな。可能であろう?」

「…わかった。では、食事の席を用意し――」

「いや、ここに運ばせろ。今後の俺や連れのスピリットの処遇についても並行して話したいのでな」


通常、城に居る位の高い者は専用の食堂の部屋で食事を取る。
これは用途を部屋別に分断し、個々の部屋に専用の機能で特化させるための手段でもある。
つまり、食堂には食事を取るためであり、執務室は業務を行うためにあるのだ。

当然、執務室には食事を取るためのテーブルの面積は狭く、椅子も食事をするには合わない背もたれをし易い構造となっている。
背もたれをし易いという事は、長時間の複数人数での話し合い等がし易くするために配慮なのである。
なのであり、であるのだが―――

「そのような食べ方をされるとはな。私は驚嘆すべきか嫌悪すべきか迷う…」

「この椅子では食べ難い。臨機応変だが、貴様の立場からすれば好意的に思わないのが当たり前だろうな」

レイヴンは椅子に腰を下ろさず、直接テーブルに腰を掛けて食事を取っている。
この世界に問わず、基本的にテーブルは物を置く場所であり、人間が座るものではない。
椅子という人間が座るため専用があるのだから、テーブルに座るという行為そのものは不謹慎なのである。

彼がジェイムズの注文した食事はコーン系の素手で食べる固形物を中心にしたものである。
他には紅茶を運ばせ、あくまでもこの場所が書斎である事を鑑みた配慮はなされてはいた。

「それはともかくとし、話を進めよう。まずは俺と連れのスピリットの今後について」

「貴公はサモドアを去るのか、それとも…」

「ジェイムズ。俺は“あなた”の直属の部下として雇われる。むろん、連れのスピリットもだ」

「いいのか、それで?」

思いの外、実現可能な要望にジェイムズは訊き返す。

「ああ。スピリットに関しては必要ならば他のスピリットと同じく哨戒任務に就かせて構わない。
だが、こちらで必要な時はこちらを優先で働かせる。今回の一件で話は通るだろう」

「スピリットが必要な時などあるか疑問はあるが…?」

「スピリットはあくまでも戦闘のための道具。だが、人間を超越したその他の処理能力なども有効だ。
それに、その他の事に使うにはあのシグルに懇願する必要があるのだぞ?」

「ふむ、確かに。スピリットを統括しているのはシグルであるからな」

「そういう事だ。俺はあくまでもあなたの部下。特にシグル側にある情報部に代わって情報を提供をする」

「それは助かる。戦闘はスピリット主体であるために情報はシグル優先に回される。
こちらが後手となって走り回る事も少なくないのでな」

ジェイムズは人間の兵を、シグルはスピリットをと軍でありながらそれぞれ個別の指揮系統を有している。
まずはシグルが国王の命の下に、部隊を率いる人間の隊長の意見を反映したスピリットの侵攻手順を申請。
その報告を受け、ジェイムズがスピリットの後方支援のために野営機材の確保及び調整、また占領後の部隊配分を行う。

その後、お互いに会談の場へとおもむき、シグルとジェイムズの他の文官らも同席して議論を交わす。
お互いに戦いを早期決戦にするか持久戦にするかを各々の観点から情報交換をし、お互いに妥協した所で実際に国王に報告の後に実際に行動に入る。
この手順において、まず真っ先に情報が行き渡るのが直接戦いを行うスピリットの指揮系統に属するシグルにいく。

彼の判断云々は議論の場で話し合う余地があるため、問題はない。
しかし、問題なのがジェイムズに渡る情報伝達が二の次である事。情報の詳細通達が遅いのである。
お陰で会議までの時間がシグルより短く限られ、議論をする直前で何とか間に合うという自体が少なくない。

他の部署も少なからずジェイムズと同じ境遇であり、改善した体制ではあった。
レイヴンの情報収集能力は、今回の一件で得られたラセリオの情報を軽く読んだだけでも十分だとジェイムズは感じた。
彼がジェイムズの下で独自の情報を得てもらえれば、今後の行動においてより綿密な計画が練れるであろう。

「給金などはあくまでもそちらの地位的に妥当な額で構わない。基本的に単身で動き回るため使う機会は暫くは無いだろう」

「うむ。了解した」

「それともう一つ。これは今回の一件による全体への見せしめだ。
――違えた代償をこの国の上の者にしっかりわからせるための、な」

レイヴンは語尾を低い声で閉める。ジェイムズはそれにゾクッを背筋を寒くする。

「――何をさせるつもりだ、私に…?」

「スピリット一体の譲渡」

「――な!?」

絶句するジェイムズ。スピリットは国の資産であり、決して個人で運用するはずがない。
それを個人へと何の利益も無く譲る事など考える事すら不可能な事と言えよう。

「私には無理だ。スピリットは国の資産であり、国王の所有物となっている。一介の士官がどうこう――」

「出来ない、ではない――やるんだ。それに、全くの不可能な事でもない」

「…何故そう思う?」

国王の所有物という事は他の何者をも侵害してはならず、また出来ない。
それをどうやって可能とする要素が生まれるのかジェイムズは疑問である。

「まず第一に、今回の件はシグルのミスで行為そのものが国王に直接知られている事。シグルへの処罰はとりあえず無しで妥協してある。
第二に、その代償として軽くシグルをこらしめた事。そして第三に、その場に多くの高官たちが集っていた事だ。

これらに共通する事は、今回の一件を多くの国の上層部が知っている事。つまり俺が代償の意味を理解出来る者たちで占められている」

「…そうか。こちら側が2人のスピリットを勝手に処刑しようとした差し引きにスピリットを要求すれば出来なくも無い」

不可能と思われた事が可能となる糸口を知ったジェイムズは氷解する思考の喜びに思わずニヤけさせる。
豊かな髭の中のその笑みは、極悪な印象を与えかねない怪しいものであった。

「そして国王にはジェイムズの下での仮運用に用いる旨を伝えれば、今回の俺の功績の免じて許可されるだろう。
スピリットを専門としているシグルはさきのあの一件だけでない情報もあるのだから、揺すれば軽く通る」

「あやつは他に一体何を隠しておるのだ…?」

「それは教えられん。あくまでも下手に出させないためのカードだ」

そう言ってレイヴンはテーブルの上にあるバスケットの中のパンを取って齧る。

「……知りたくもあるが、まぁいい。その件に関してはそれでもかなり厳しいが、やってみよう。
それとこれは個人的な興味からだが、貴公はあれをどうやったのだ?」

「あれ、とは?」

「スピリットを処刑されそうになった際、貴公は自身の連れたスピリットは確かに消滅をした。
だが実際には生きており、同行していたスピリットに聞こうと共に扮装していた事についてだ。あれはどういう仕組みだ?」

「あれか。あれは人間の思い込みを利用した一種の暗示だ」

戸棚にある本を適当に取り出し、軽くパラパラと捲りながら世間話をするかのようにレイヴンは話す。
対するジェイムズは、先の一件の種明かしに興味津々である。
例えるならば、幼い子供が未知なるモノに多大な感心を寄せて目を輝かせるようなもの。

「暗示? あれがか?」

「そう。ジェイムズ、あのバスケットの中に入っているモノは何だと判断する?」

テーブルにあるバスケット。それは先ほどレイヴンが齧り付いたパンの入っている。

「パン、だが…」

「そう、パンだ。では、何をもってしてパンが入っているとジェイムズは判断した?」

「貴公が私に頼んで固形物の食事を望み、パン類を私が寄越させた。そしてバスケットの中にはパン特有の香りもある」

「だがそれがバスケットに付着した香りで楕円形の石が運ばれてきたとしても、ジェイムズはパンだと判断してしまう」

「む…」

「あくまでも例えだ。つまり、人に限らず生物は経験による認識を主に行うため、事前にこれはこうであると教えておけば自然とそう考えてしまう。
処刑のための部屋へと行く前、ジェイムズの下に処刑方法を記載された資料を渡されただろう」

「ああ、確かに。ではあれが――」

「あれをあの場にいる全員に配布させたのが俺。処刑の現場など技術者でなければわからない事を行うのだ。
披露するには当然ある程度それを予測しやすいように頭に認識をさせる。後は向こうで手に入れた睡眠薬を空気中に散布すれば状況は完成」

「睡眠薬? だが眠気など全く感じなかったぞ」

「まずはこのパンの匂いを嗅いで食べてみろ」

バスケットから投げ渡された小さなパン。
言われた通りに匂いを嗅ぐも、いつもの香ばしい香りがし、味もふわふわもちもちである。

「では次に…このパンを――」

再び投げられたパン。
それは弧を描き、空気抵抗を受けて途中で急激に減速――――しなかった。

――ガッツーーン!!

「ぬぐはっ!!?」

硬質で重量のある感触がジェイムズ顔面を直撃。
座っている椅子から転げ落ちそうな程に悶絶をするジェイムズ。

「なな、何が一体!!?」

「目の前のテーブルに落ちたパンだったモノを見れば判る」

ジェイムズは鼻先を摩りながら言われた通りデスクの上を見る。
そこにはパンはなく、代わりに先ほどレイヴンが読んでいた分厚い本が乗っかっていた。

「それが二個目のパンの正体だ。一個目の本物のパンに極微量の嗅覚に作用する睡眠薬を仕込み、嗅がせた事で頭の中の一部機能を麻痺させた。
その結果、常日頃の正常な視覚認識がし辛くなり、俺の『パンだ』という言葉に反応し、実際投げたのが本なのをパンだと誤認してしまったわけだ」

「つまりあの場に居た段階で、スピリットが入場してから処刑の順序まで読ませていたために室内の空気中の睡眠薬で視覚認識にズレが起こっていたのか…!」

疑問が解けたその嬉しさに強く鼻を摘んでしまい、再び悶絶をするジェイムズ。
それを尻目にレイヴンは話を続ける。

「そう。初めから俺と連れのスピリットの三人しか入場せず、まるで処刑するスピリット2人が居るかのごとく振舞えば居ると誤認する。
消滅の際にはこちらが二人分の呻き声を出せば、全てが上手くいった。睡眠薬の散布量も一回分のみだったので、軽く刺激を与えれば簡単に醒める」

「……では、剣を地面に突き立てたあの行動で麻痺していた機能が回復し、我々は本来の現状を把握したわけか」

「剣を突き立てた際に硬質な鉱物と地面の硬質さの甲高い高周波音は頭に直接響きやすいのでな。
その前にエーテルコアに刺さって残っている剣を見て半覚醒はしていただろうがな」

「全ては貴公の手の内か…」

結局は何もかも、この男の手の平で踊っていただけの出来事。
サモドアへと訪れ、期せずして男の要求を飲まざる得ない状況を作り上げている。
驚きを通り越し、鼻を摩りながらジェイムは嘆息する。

「そうでもないぞ。シグルが公開処刑などせず、効率重視で処刑していれば彼女たちは間違いなくマナに還っていた。
帰還するまで俺はシグルという男を何も知らなかったのだからな」

「ではシグルが見せたがりではなく、処刑を普通に成功させていれば――」

「普通に報復に出、少なくとも彼と彼の関係者はただでは済まなかっただろう。無論ジェイムズ――貴様もだ」


――――ぞくりっ!!!!!!!

「!!!??」


ジェイムズの全身に怖気が走り、ガタガタと震えが起こる。
背筋が凍り、頭の思考もままならない。呼吸も止まってしまったかのような息苦しさもある。
突然の事でありながらも、それだけではない何かに意識を凌辱されてしまった。

視線を手に持ったパンをクルクルと回している男の瞳へと向ける。
その男は別段何もしていない。彼はただクスクスと、さも楽しげに微笑んでいるだけ。
それだけなのだが、それには意識の底に聞こえてくるものがあった。


゛残念だったけど―――よかったね。クスクスクス"


そう言っている様に見え――いや…“感じさせられた”のだった。
彼は人間であって私たちとは住む世界全く違う種類の人間。
何かが違うとは考えていたが、ここまで違うとは予想外と言うには生易しすぎる。

だからというわけではないが私は今ここで宣言し、断言しよう。



――この男を絶対に裏切ってはならない、と。





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