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Before Act
-Aselia The Eternal-

第一章 ダーツィ
第六話 「 選んだ道 」



「定時報告は終わった、が――」

一週間ぶりの街、ケムセラウト。グレンはスピリットの訓練報告のために街へと訪れている。
彼はここの訓練士であるフェリクスに一週間に一度、週の初めの日に報告しに戻る事になっていた。
野生身溢れる逞しい存在となった監視役の兵士も連れて。一週間で交代させるので計4人は頼もしい兵が出来上がるだろう。

今回で3回目の報告なので、グレンが担当しているスピリットたちの訓練も残り一週間。
グレンはフェリクスへの報告を終えて街を散策し、必要な物資の調達をしながら彼女たちの経過を考えていた。
彼女たちはあれから毎日グレンの訓練をこなし、目に見える成果を露わにしている。
例えば朝食の木の実割り。彼女たちは今では神剣の力なしで綺麗に割るが出来る様になり、フィリスのウイングハイロゥも展開しての飛行を自在になってきている。

「そろそろ服の新調も必要か…」

グレンは腕に小さな袋を抱え、被服店の布生地を眺めながらそう呟く。
彼女たちの訓練を行うたびの簡素な服は汚れ、その度に小川で洗濯させているのだが、それでも毎日汗や泥で汚れれば繊維の中にこびり付いていく。
今では服の何処を見回しても茶色や黒で汚れている。彼女たちはそれ自体は気にしていないが、臭いはかなり気にしている。
訓練中はそれを気にする余裕の無い濃さの訓練なので問題ないが、やはり寝るときなどの非戦闘時は直ぐ鼻に突く。
そのため、今はグレンの羽織っている一張羅に裸で包まり、3人仲良く固まって寝ている始末なのである。

「――これにするか…」

グレンは幾つか品定めし、中でもシルクの様な滑らかさときめ細かさを持った生地を手にとった。
他にもサラサラとした伸縮性のある物や生地が厚く、縫い目などの補整に使える物を選び、店の亭主に声を掛ける。

「………」

「買うのだが?」

「妖精趣味の奴に売る物なんてウチじゃ扱ってない」

「なかなか値段の高い物を買おうとしているのにか? 店の利益も大きい物だぞ?」

「………」
「………」

沈黙。店の亭主はグレンの言葉に彼を見もせずに言葉少なく拒否した。
この亭主はグレンの事を知っている。おそらくあの露店での一件関係であろう。

亭主の言っている『妖精趣味』とは、忌嫌う対象であるスピリットに情や興味を抱いている人間の事を指している。
スピリットとの関わりを持つ者との接触は、スピリットとの接触を極力したくないという思いからであるのだろう。
この街ではフェリクスによるあの行事も相まってその傾向がある。
そしてフェリクスという存在がそれをいい例となり、グレン自身もそうではないのかと思われている。

彼自身、街の中を歩いていると道を大きく開けられたり、来店拒否された事も多々あった。
今抱えている袋の中身は、裏路地や彼の存在を知らない店などで購入したブツである。
以前、グレンがビッグパフェで新記録を出した店で昼食を取ろうとしたら来店拒否され、壁にあった挑戦成功者の名前の欄に『グレン』の文字が見受けられなかった。
彼の存在で大きな損失を出さないように、存在を店自身が抹消させたのだ。

昼食自体は、その辺の露店の果物などを勝手に取って、金を置いていったので問題はなかった。
が、今はこの店で見つけた生地はどうしても必要なので、グレンは交渉に入る事にする。

「こういった生地はここではそうそう売れないものだ。言うなれば時折売れれば儲けもの。そういう代物だろう」

「………(ぴくっ)」

こういった他と比べものにならない質のものは高く、そうそう売れない。
そのため数を揃えるのは少ない傾向となり、それでも売れればその利潤は高い。
高級ブランド店でとても高い品物揃いだとしても、それを求める成金の人々がちまちま買っていくので運営出来ていると同じである。

この小さい街ではそういった人はあまり居ないだろう。なのにこれが置かれているのは本当に、稀に売れれば儲けものな代物。
その証拠に亭主はグレンの言葉に過敏に反応し、無視をして品物整理をしていた手を止めて生地を落としている。

「これと合わせて他もまとめて売ってくれればこのコイン一枚で買おうと思っていたのだが…」

―― チラッ

「――っ…!」

そう言いつつ、ポケットに入れていた金のコインをチラつかせ、光に反射する金色の輝きをピンポイントで店主の視界に納めさせる。
亭主はグレンが言わんとする事を察し、悩み始める。店の外ではグレンと亭主の同行を観察している野次馬が居る。
ここのまま売ってしまえばあからさまに悪い噂が街中を飛び交って店に誰も寄り付かなくなってしまう。
かと言って、今まで一度も売れたことの無い高い生地をまとめて大量に買おうとしているグレンを追い返す事が店の損失にもなってしまう。

「―――っ」

亭主は今後と今の店の左右しかねない状況にどうすればいいのか苦心させる。
落とした生地を取ろうと屈んでいる姿勢のままでいる亭主にグレンは近づいて生地を拾う。

「―――――」

そしてそのまま亭主に渡すと共に囁きかける。亭主はその言葉にグレンを驚きの顔で見やった。
グレンは店の外から亭主と自分の顔が見せない位置に立っており、グレンが下に落ちた生地をとる為に屈んだとしか見えていない。
グレンはそのまま亭主を見つづけ、判断を仰いだ。そして――

―― ドンッ!

「うちの店の物に気安く触るな! さっさと消え失せてくれ!」

亭主はグレンを突き飛ばし、彼の持っていた生地が他の置かれている生地の上へと散らばっていく。
グレンは突き飛ばされた勢いでそのまま店の外へと追いやられる。
集まっていた野次馬はそのままさっさと退散していくも、中には少し離れた場所から観察し続ける人もいた。

「やれやれ…仕方ない。他を当たるか」

腕の中の小袋を抱え直しながら嘆息したグレンは、そのままその店から立ち退いていった。
そして野次馬も、変化が無くて何も起こらなかった事態にがっかりさしながら街の喧騒へと消えていく…。


「模擬戦を?」

「ええ、貴方の実力の程を確かめたいのですよ〜」

定時報告のために訓練所にいるフェリクスの元に訪れたグレンは、報告の途中でフェリクスにそう言われた。
何でもグレンが森で訓練をさせたスピリット、フィリスたちを戦わせて実力の程を見てみたいとの事。

「いくら訓練させたとしても実戦で動かせなければ意味はありません。それに同色同士の戦闘も体験させる必要があります」

フィリスは青、リアナは緑、そしてレイナはレッド。
スピリットは色によって能力に違いがある。実際の戦いとなれば確実に相手も同じ色での戦いが発生する。
色違いであっていくら強かったとしても、その戦闘スタイルは神剣の形状ゆえに違う戦い方でしかない。
ゆえに実際に同じ色同士で戦えるか、と聞かれると素直に頷けない要素は多分にあった。

「そうだな。という事はそちらも青・緑・赤の3人編成か…」

フェリクスは同色同士の戦いと言っていた。ならば黒を除いた3つの色で3人となる。

「実力測定も兼ねていますからね〜。色も基本編成ですし、丁度いいですよ」

先導して戦うブルースピリット防御のグリーンスピリットに支援攻撃魔法のレッドスピリット。
戦う相手が神剣魔法を使う際にはブルースピリットが後方に下がってアイスバニッシャ―で無効化、グリーンスピリットが防衛に徹してレッドスピリットがその補助で攻撃をする。

青・緑・赤の基本的な戦闘スタイルであり、どの国でも多用されている。
実際、この編成は高効率でどんな相手でも渡り合えるだけの組み合わせなのである。

「それで模擬戦の形式はどうするんだ?」

グレンはそのまま戦わせて実力を測るのは少しばかり過剰であると思い、フェリクスの尋ねる。

「それですが、神剣魔法の使用を制限するのはどうでしょう? さすがにいきなり攻撃魔法でマナの霧になるのは困りますからね〜」

フェリクスの言う通り、戦闘開始直後の先制攻撃であっさり倒されては実力を測る事は出来ない。
レッドスピリットの攻撃魔法は絶大であり、グリーンスピリットのオーラフォトンによる防御フィールドでも軽減が精々で、直撃すれば一瞬で肉体が炎上・炭化する。
つまり瞬間的にエーテルの肉体構成が解かれるので、大量に還るエーテルが発生するためにまるで金色の霧の様に大気中に霧散。
マナの霧とは、この現象に最も合った言葉である。

「レッドスピリットの神剣魔法の凍結。他は――特に問題はないな」

オーラフォトン、ハイロゥ、殴り合い。
それらは実力を測るのにどうしても必要な要素であるので、グレンは他に制限の提示をしない。

「そうですね。ですが戦ってみて直ぐにマナの霧になるのは勘弁してくださいね〜?」

「そうならない事を祈っていればいい」

フェリクスは嫌な笑みをグレンに向けてくるが、グレンはそれを軽く流した。

模擬戦闘であってもそれは実戦。幼いスピリットとはいえ、戦えばただではすまない。
グレンはそれを承知でフェリクスの申し出を受け、フェリスたちの実力の程を確かめようと考えた。
グレンに『月奏』、そして『凶悪』との戦闘訓練をしてはいるが、彼らはスピリットではない。
彼女たちが常時戦う相手はスピリットであり、幾ら強くとも戦う相手は別物。
なのでそれを理解させる上でもこの模擬戦は必要な訓練の一環なのである。

「そうする事にしましょう。それでは来週、楽しみにしていますよ〜」

グレンは「ああ」と軽い返事を返して訓練所を後にするも、グレンの去り際にかなり含みのある笑みを浮かべて見送ってくるフェリクス。
そして彼の後頭部も同調するかの様に激しくフラッシュしていた。

模擬戦は一週間後。つまりグレンのフィリスたちの訓練期間を終えた次の日。
それが彼の訓練士としての資質と同時に、フィリスたちに実力が問われる日でもあった――

……………

「………」

グレンは武具屋で品定めしつつ、訓練所での一件を思案し、色々と模擬戦に使えそうな仕込みモノを探して漁っている。
この店の武具はどれも金属の厚みが極端に薄い。つまり熱して加工する際に限界まで引き伸ばして材料費をケチり、儲けを多く取ろうという魂胆が見え見えである。
それでも装飾などをしっかりする事でそれを隠している。実際これを装着するのは、人間の犯罪を取り締まる兵や見世物にする貴族関係の一部の者などのみに限定されている。
戦うのはスピリットの役目であるので、それで問題はないのだろうが…。

「……無い、な」

彼は剣から鎧、兜や篭手などこの店中の武具を見て回ったが、どれも実用性が皆無と言える性能しか持たない物ばかりであった。
なので店の主に金属の鉱石が無いかと交渉すると、武具を作っている職人の住所を聞き出せた。
その職人はこの街の外れにある家で武具の製作をしているとの事なので、グレンはさっそく出向く事にした。が――

「――っ! ぐれん……!」

「エステル、か」



―― ザッザッ…
―― トトトッ…

「………」
「………」

―― ザッザッザッ…
―― トトトトッ…

「………」
「………」

―― ザッ
―― トトッ…ぴたっ

「何時までついてくるつもりだ、エステル」

「………」

武具屋を出て直ぐにグレンはエステルと遭遇し、彼自身は少し少女を見やるも、無言で去ろうとした。
エステルはそんなグレンに何か話そうとしていたが、結局何も言わずに去って行こうとする彼に何も言えなかった。
けれども彼女はそのまま無言でグレンの後を追っていた。

今彼らが居る場所はケムセラウトの中心街から離れ、ほとんど人を見受けることの無い外れまで来ている。
グレンが武具屋から聞き出した職人も元へ向かっているのであるが、彼はエステルが後ろを付いて来ているのを気配で感じつつそのまま放っておいた。
しかし、そろそろ子供が居ていい場所ではなくなってきたので、彼女に付いて来ている事を聞く事にした。
歩みを止めてグレンに背中越しで問い掛けられ、彼女自身も足を止めるも、終始少し俯いて口を閉ざしたままであった。

「………」

「俺に何か用があるのだろう?」

グレンは無言のままのエステルをチラッと見るも、顔を俯むかせており、その表情を覗えない。
が、それでもフリルのついたスカートを両手で強く握り締めている姿から、何かを堪えている事を示唆することは出来る。

「――ぐれんは、いいの…?」

「何をだ?」

搾り出されるその言葉にグレンは問い返す。エステルはより一層手の力を強めてスカート握り、俯いていた顔を上げた。
エステルの顔は今にも泣きそうなのを堪え、それでいて悲しみと憤りで一杯だった。

「だって!だって!! 街のみんなはぐれんのこと避けるんだよ!? まるでスピリットみたいに嫌ってるんだよ!!?」

彼女は彼と一緒に居たのを見ていた親しい人たちから、今度遭っても絶対に話し掛けたり近寄ったりしてはいけないと散々言われた。
何故駄目なのか、と問い返してもはぐらかしたり、妖精趣味だからとか、危ないから等。
グレンがスピリットと関係あると知れただけで、この様に彼を避けなければいけない事にエステルは子供ながら困惑していた。

幾度も尋ね、グレン自身の良さも説いていたエステルだったのだが、遂には親から頬を叩かれしまっていた。
たった二回遭っただけだったけれども、それでもグレンの良さをどうしても教えたかっただけのエステルは叩かれた痛みとともに放心した。
それ以降は一切その事を話さずに一人、エステルは街を徘徊して悲しみと疑問の中で答えを求めて彼の姿を探し続けた。

しかし、エステルはスピリットを連れていった時以降に彼の姿を見ることがなく3週間という時を日々彷徨っていた。
そしてつい先ほど、エステルはグレンの姿と見つける事が出来たのだが、被服店に入る以前から遠目でどう話かけようか眺めていた。
彼女の親の一件から彼に何を、どう話しかれればいいのかわからなくなってしまっていた。

「さっきだって、お店のひとに買うのをさけられて追いだされて!!」

エステルは幼いながらも大きな声で悲痛な思いを叫ぶ。

グレンが街で買い物している姿を見ていると、無視をされたり買う事を拒否されたりしているのを確認しており、そして先の被服屋での一件。
彼が入った店に人に拒絶され、そして突き飛ばして追い出されていたのを見てしまっていた。
彼の行動を観察していた野次馬が何も起こらなかった事に残念がり、グレン自身それが聞えていても可笑しくないにも関わらず平然とその場を去っていった。

エステルはそんなグレンの初めて遭った時と変わらない姿に心が痛かった。

「なんであんな事までされて平気なの?!どうしてそんなに普通でいられるの!!?」

グレンのされている仕打ちにエステルは堪らなく悔しく感じられる。
彼女はグレンと接し、憮然としつつもその大人で静かな存在そのものに安心する何かを持っているのを感じていた。
そんな彼がスピリットと接しただけで避けられる存在になるのが嫌だった。

だから彼に声を掛けようとしたけども、本当に何から、どう声を掛ければいいのかわからなくなっていた。
グレンが武具屋に入った扉の前で延々うろついていたら、ふいに出てきてグレンと接触してしまった。
彼はエステルを一弁しただけで、そのまま去ろうとした。彼女には、それが自分への気遣いだとわかった。

「さっきわたしと会っても声をかけなかったのはわたしのため。ぐれんは自分へのいじめを知ってる!!」

人でごった返す街の真ん中で自分と話したりすれば、間違いなく自分も避けられる対象にされる。
彼はそれをわかっている。そうなる事を理解している。だから何も言わずに去っていっている。
エステルはそれがわかったから。理解出来たからこそ、余計に悲しく思えた。

「わたし、嫌だよ……ぐれんはいい人なのに…なんでみんな、ぐれんを――」

溢れ出す涙。たった二回、それでも感じられた彼の存在に悲痛の思いを抱く。
エステルは顔を伏せて溢れる涙を拭う。それでも止めどなく流れる涙を拭いきれずにいる。
グレンは小さな女の子の言葉を聞き続け、そして涙を拭うエステルに近寄って頭を撫でる。

「――スピリットは力を持った存在だ。その存在は人にとって恐怖に対象であり、また不吉な存在とされている。
そんな存在と関わりのある人間と関係を持っていると知れば、徹底的に避け、そして排斥しようとするのは自然の事だ」

人に限らず、生き物は自身に危険が及ぶ存在があると認識すれば、それを極力さけて安全を確保しようとする。
それは生存本能からくるものであり、また生を送る上であって欲しくないと願うものである。
彼はそれを幾度も、記憶の果てまで見続け、体験してきた事なのでこの程度で動じる事はない。

「だからって…なんでぐれんなの!?なんで……!?」

エステルはグレンの胸に顔を押し付け、涙を流しつづける。
顔を胸に押し付けられたグレンは、少女を軽く抱きしめながら頭を撫でつづける。
そのままエステルの泣き声を聞き続け、グレンはおもむろに言葉を発する。

「エステルは…リクェムは苦手か?」

「ぐすっ――え゛っ…?」

泣いた事で鼻が詰まった声で、エステルはグレンの顔を見上げてを聞き返す。
その顔を涙を流した事で涙の跡が残っていたのでグレンは手で拭う。

「リクェムは苦手か、と聞いてる」

「……すこし」

意図が掴めないその問いに、エステルは答え、「そうか」と言う彼は軽く微笑んで話を続ける。

「出来る事ならば、あまり食べたくは無いか?」

「――うん。すこし苦いから」

リクェムはピーマンに似た野菜である。その苦味はピーマンより少し苦いのだが、その苦さに子供にはあまり好かれていない。
その点ではエステルは大人な子供であった。その苦味はうまく使えば甘さと苦味が両立した美味しい料理が出来る。
それでもリクェムの苦さは健在なので、子供にはその苦さの美味しさが理解され難いのである。

「リクェムがスピリット。そしてそれのリクェムを作るのが俺であるスピリット訓練士だ。
そしてリクェムを苦手な子供がこの世界の人たち。そんな子供たちはリクェムを作る人を好きになれるか?」

「――っ! ぐれん…」

エステルは彼が言わんとする事がわかった。
それを語る彼の表情に悲しみはなく、エステルの頭を軽く撫でて微笑んでいる。

「リクェムは苦いから子供には不人気だ。だが、大人にはその苦さが美味しく感じられる。それは何故か?
その苦さの中にある美味しさに気がついたからだ。しかし、子供にはそれはわからない。
それでも大人になるにそれにつれて、それに気がついていく。気づくのが何時になるかはわからない。俺にもそれはわからない。
が、それでも俺はリクェムを作り続ける。それは俺が望んだ事だから、だ」

「―― ぐれぇん…!!」

エステルは彼の黒い服を掴んで思い切り泣き出す。
彼はそんな少女を強くしっかり抱きしめ、撫でてやる。

白い一張羅もエステルを優しく包み込んで、静かな街角にエステルの泣き声だけが木霊した――


……………
……………………


「―― ぅうん?」

エステルは程よい揺さぶりに目を覚ます。目の前には漆黒の髪の毛が見える。

「起きたか」

黒髪の人物。それはエステルが知っているグレン・リーヴァだった。

「ぐれん…?――ふぇ?」

眠い目を手で擦って何故か顔の近いグレンを確かめると、今の自分の状態に目をやった。
エステルはグレンの背中に背負われており、一張羅の中から顔だけが外に出ている状態だった。
それに気がついた途端、エステルは慌てる。

「え?! 何でぐれんがわたしをおんぶしてるの!?」

「エステルが泣きまくってそのまま寝込んで、俺が背負ってそのまま用事を済ませたからだ」

慌てふためくエステルにグレンは姿勢を維持したまま答える。

エステルは泣いたまま寝てしまった。グレンはこのまま武具職人の所に行って鉱石を分けて貰いに行く途中である。
このままエステルを置いて行くにはあまりに静かで誰も居ない場所なので、彼女を背負って行く事になった。

そしてそのまま職人の家まで行き、彼が持っている資金(賞金やスピリット確保資金、そしてフェリクスから前金で貰った給金)で少し高値で購入した。
少しばかり道具を借りて買った鉱石を加工・精製。その間はエステルを隅でグレンの衣に包んで寝かせておいた。
しばらくの時間続けた作業を終えたグレンが戻っても起きないエステルを再び背負い、その帰路である今、エステルは目覚めたのである。

「そうなんだ……ええっと」

グレンの言葉で自分が泣いていた事を思い出し、エステルはどう話かければいいのか言葉に詰まる。

「降りるか?」

肩越しに向けられるその瞳は漆黒だったが、赤く染まり出した日の光で夕日色の透明な色もしていた。
あれからかなりの時間が経っていた様で、エステルは夢の中でしばらくの時の間寒かった胸に温もりを感じていた事をおぼろげながら思い出す。

「―――ううん。もうすこし、このままで…」

エステルはそのままグレンの肩に顔を埋め、静かにグレーの瞳を閉じた。
彼の肩は固かったが、それでも一張羅の柔らかさと相まってグレンという存在を感じる。

「中心街の少し前までだぞ」

「……ぐれんのケチ」

少女は頬を少し膨らませる。
風がなびき、目を閉じている少女には心地良かった。

「リクェムを嫌う子供がリクェムを作る人間を歓迎出来るものではない」

「わたし、リクェム好きになるもん…」

彼の首を抱いている腕を更に抱え込んで彼に密着する。
一張羅に包まれて、自分の温かさと彼の温もりで温かかった。

「好きになっても他の子供は信じてはくれまい。むしろ犬猿される」

「………」

彼は空に顔を上げ、赤く染まる空と雲を眺める。少女は沈黙する。
夕日に光の淡く温かみの満ちた光が2人を照らし、2人で1つの人影を作る。

「子供には子供の好きになり方はあるものだ。エステル、お前はリクェムをどう好きになる?」

「わかんない、よぉ…」

少女はその術を知らない。ゆえに悲しく感じる。彼に近づけないから。
住宅街に入って時折建物の影に入り、赤と黒の光の世界を通る。

「それでいい。だから人は探す。自身が求める答えを」

「―― こたえ…」

彼は赤い光の世界で歩みを止める。
少女を閉じていた瞳を開けると、そこは中心街の直ぐ傍の路地。別れの時が来た。
彼は屈むと、少女を下ろして立ち上がる。少女はそんな彼を見上げ、彼も少女も瞳を見る。

「エステル。お前が答えを求めるのならば探してみる事だ」

そう言って彼は街の外へと去って行く。少女はそれを見続けるしか出来なかった。

「―― こたえを、さがす。――ぐれん、おにいちゃん…」

少女は赤い空が黒に染まっていくのを見ながら呟いた……。




―― ぱちぱちっ

「………」

―― ちくちくちくちく

「レイヴン…? それは何をしているんです?」

森の夜。その中で照らす焚き火の光を浴びながらとある作業に没頭するレイヴンにリアナは声をかける。
彼女の髪型は以前のポニーテールから三つ編みに纏めて背中に垂らしている。
髪型が変わったのはリアナの隣でレイヴンの作業をジーと眺めているレイナも、長い髪を短髪である。

訓練開始当初、レイナは焚き火起こしで髪を焦がしてたので、レイヴンはその夜に散髪を行った。
伸ばしっぱなしだったレイナの髪型は、前髪に向かうほど扇状に広がるサラサラとした見た目に彼は仕上げる。
そのついでとばかりにリアナの髪も櫛でといで、そのまま三つ編みにした。
リアナの三つ編みは髪自体にボリュームがあるため、三つ編みもボリュームのある見た目となっている。

そして髪型を変えた様に、彼女たちの言動にも変化が生じてきていた。
今の様にリアナは積極的に声を良くかけてきたり、焚き火を囲んで談笑したりしている。

リアナは丁寧な口調であるが、彼女はいろいろと明るい。逆にレイナは無口な様でありながら、大人びた雰囲気を持っていた。
フィリスは――スピリットの教育がまだだったので変化はそんなにはない。今現在、そのフィリスは焚き火の傍でうんうん唸って寝込んでいる。

「ちょっとした裁縫だ」

レイヴンはその手に持っている綺麗な生地に針を動かしたまま答えた。
彼のその手にある生地は昼間に立ち寄った被服屋の高級生地。

立ち寄った時点では手に入れられなかったが、彼は亭主に近づいた時に小さな声でひとつの提案をした。

『指定した場所に生地を配達してくれれば問題ない』

彼はそう言ってそのまま亭主の懐に金貨一枚を転がしこんだ。
そしてそのまま立ち去り、エステルと別れた後に指定した場所に行くと包装された生地がそこに置かれていた。
中身を確かめるも、彼が選んだ生地がちゃんと全部あり、そしてお釣りもしっかり同封されている。
別にお釣りは要らなかったのだが、どうやらその辺は亭主の性格からなのだろう。

こうしてあらかじめ前金を払い、指定した場所に届ければ相手が誰か知られないので、店の評判を落とす事無く商売が出来る。
この提案を被服屋の亭主は受け入れ、そしてあの時は演技(?)の追い出しで野次馬の注意の避けたのだ。
エステルはその点では誤解をしていたようだが、特に弁解する必要もないので話さなかった。

そして手に入れた生地を森へと戻り、フィリスたちの夕飯を作って後は就寝のみの時間帯に製作に入った。

「生地が綺麗ですね…」

レイナは置かれている生地を触りつつ、手触りの感想を言う。
それなりの値段がしていたのだから、そうでなければ彼は買おうとはしないだろう。

「まぁな。それより、今日はフィリスをかなりしごいたのか?」

「ええ…少しばかり難易度を上げたら今の状態に」

「――終わった瞬間に寝込んでしまいました」

フィリスは未だに焚き火の傍で、と言うよりも彼が帰ってきた時からずっとあの状態である。
週初めは、レイヴンが定時報告の為に街へと降りるために戦闘訓練は復習を兼ねて軽くにし、主に勉学に費やしている。
当初は彼自身が3人に教え様としたのだが、全く知識の無いフィリスはかなりキツかった。

そこで彼は、まずリアナとレイナに教え、そしてリアナとレイナがフィリスに教えるという形式をとった。
リアナが直接フィリスに教え、レイナがそれを補足する形となった。フィリス自身は頭が良い様で、リアナたちが教える事をしっかり吸収していった。
試しに再びレイヴンが教えるも、短時間で根を上げるてしまっていたので、彼が直接教えるのは先の日である。

リアナとレイナもフィリスに劣る事の無い頭の良さで彼の教えもしっかり吸収している。
それでも少し高度に話せば、頭から煙を出しそうになってはいたが…。

「……書き取り、か」

「ふふ。そうです」

「全部やり遂げるまで頑張ってました…」

こちらの世界の文字は楽譜と言っていいほどに細かい。
英語はアルファベット24文字で全ても文字を書く事は出来るが、日本語は部首などで複雑に絡み合ってその文字数は膨大である。
しかし、この世界の文字『聖ヨト語』は日本語に比べればその文字数事態は少ないのだが、如何せん書き方が難しいのである。

同じ文字でも書いた行の高低差で全く違う意味が出来てしまうのだ。
書名など様に英語で書き続ける書き方で綴れるのだが、それには位置表現能力が要求され、これは実際に書いて身体に覚えさせなければ修得できないものなのだ。

フィリスはそれ延々と続く反復書き取りをし続けたので、今も頭の中では文字で一杯なのだろう。今もなにやら単語を何度も発しながら唸っている。
レイヴン自身も、本で仕入れた文字情報を実際に試し書きをし、書けるか確認はしているので問題はない――はずである。

「…そうか。明日も朝から訓練をする。2人もそろそろ寝ておけ」

レイヴンは唸って寝ているフィリスから視線を手元の裁縫に戻して2人に言う。
2人は頷いて彼の傍から立ち上がった。

「はい、そうしますね」

「…レイヴンはまだ寝ませんか?」

レイナはレイヴンの針が進んでいく手を見ながら尋ねる。

「ああ。一週間のうちに仕上げる必要があるのでな」

「一週間、ですか…?」

一週間以内に出来なければフェリクスのスピリットとの模擬戦に間に合わないので、なるべく早く作り上げる必要がある。
今の彼女たちの服装のままでは衛生状態も良くなく、彼自身もそろそろ代え時だった事も相まっていた。
レイナはこの生地から何が出来るのかを想像しているのだろう。レイヴンの手元を覗き込みつつ、疑問の声を上げている。

「まぁ、完成してからのお楽しみにしておけ」

「…楽しみにします。お休みなさい」

レイナはリアナと一緒にフィリスの元に行き、フィリスが羽織っているレイヴンの衣の中に入った。
彼女たちは一緒に寝る様になった。というよりも布団になる物があれ一つなので自然とそうなっている。
フィリスが中央にして、リアナとレイナはそれを挟んで寝るというスタイルである。

―― ぱちぱちっ

――うぅ〜ん…
――くぅ…
――すぅ…

――ちくちくちく

少しすると、焚き火の音と裁縫をする音以外に少女たちの寝息が聞えてくる。うちの一人は相も変わらずに唸っているが…。

「………」

―― ちくちくちく

一週間後。その日に彼の訓練士としての腕が試される。
その前にこの生地から彼女たちの服を作り上げる。サイズは3人の情報を調べているので問題はない。
だが、問題なのがその実用性。スピリットの戦いでは余計な物は邪魔にしかならない。かといっても、何も無いだけ服では逆に防御に使う事が出来ない。
それらを踏まえたデザインと機能性を頭で考えた服が仕上がるように一針一針しっかり縫っていく。

男が一人焚き火の前で、憮然とした面持ちで寡黙に裁縫をしている――。




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