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「はぁっ!」 男の腕に装備されている突起がグラインドし、手の振りの勢いと相まって相手の身体へと突き刺さる。 突き抜かれた相手は、呻き声と共に大きく痙攣を起こして沈黙した。 すると不思議な事に相手はボロボロと崩れ落ちてゆき、最後には灰となって風に飛ばされていく。 腕に装備されている道具から飛び出している大きな釘に付着した血も、サラサラと乾燥して剥がれ落ちていった。 「――ふぅ」 「ふむ、ご苦労じゃったな。だがまだまだ攻めが甘いぞよ?」 「…だったら手伝ってくれてもよかったんじゃないのか、アイシス」 「それはそなたの役目であろう、シンよ」 「はぁ……そうですよ」 シンと呼ばれた男は嘆息する。そんな彼に声をかけたのは一人の女性、アイシス。 彼女はさも楽しげにシンをからかい、彼の傍へと歩み寄る。 深夜の森。その路肩でありながら澄み渡った空から降り注ぐ満月の光がアイシスの長くきめ細かな金髪を輝かす。 彼女は黒のドレスを身に纏い、艶豊とまではいかずもその繊細で美しいボディラインを表していた。 「そなたは我を守護するために共にあるのだ。この程度の輩に手間取っては公爵級の者に遅れをとるぞい?」 「誰が誰を守護するって!? 俺はあんたが誰かを吸血しないか監視しているだけだぞ!」 「そうかそれは残念じゃ。我が誰かの手の落ちてその者の子を孕み、新たなヴァンパイアが生まれてもいいと言うのじゃな…」 「〜〜〜っ! こ・ろ・し・て・ぇ〜〜〜!!」 おろおろおろと泣き崩れる真似事をするアイシス。目元に涙を滲ませるほど手の込んだ演技を披露している。 そこいらの男どもが見れば簡単に魅了されてしまう色気が漂っているも、そんな彼女にシンは惑わされず違う意味で悶えていた。 シンのその様子にアイシスは泣き真似を止め、愉快に笑っている。 そんな彼女の口からは月に光で反射する異様に長い犬歯が覗かせている。 彼女の瞳も、人手は決して在り得ない血の様に真っ赤な瞳が笑いで目を細めていた。 アイシスはただの人間ではない。彼女はヴァンパイアという種族であった。 |
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血の宿命を日向とともに - Bloody Future - |
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ヴァンパイアとは人間の姿をしつつも、似て非なる存在。 人間とは比較にならないほどの長命を誇り、人間の血を己の糧として生きる魔物。 そして血を吸われた人間はそのヴァンパイアの眷属となり、自身も人間の血を得なくば生きられない存在となってしまう。 眷属となった彼らを従え、ヴァンパイアは新たな糧を――主に純潔を保った少女を求めて夜を徘徊している。 ヴァンパイアは神出鬼没であり、人々は夜を怯えて過ごす毎日を送っていた。 そんなヴァンパイアに対抗するため、人間の中に彼らを滅さんとする存在――ヴァンパイアハンター(退魔師)がいる。 彼らは特殊な杭をヴァンパイアに打ち込むことで灰へと還す術を持っているのだ。 だが、ヴァンパイア自身の身体能力は高く、並大抵の者は返り討ちにあい、逆に眷属となってしまう。 人とヴァンパイアとの戦いの世の中、シンはそんなヴァンパイアを狩るヴァンパイアハンターであった。 そんな彼が何故、ヴァンパイアであるアイシアと共に行動をしているのかというと… 「初めの頃よりは大分成長したようじゃが、我を狩るにはまだまだシンは甘ちゃんじゃ」 「くそぉ〜〜…いつか絶対滅してやるから覚悟しておけ!!」 「そなたが生きているうちに頼むぞよ? 人間は我らより短い生なのだからの〜」 この女ヴァンパイアはシンより強かったのである。実際、シンは手も足も出ず完膚なきまでに敗北を喫したのだ。 そしてアイシスは身動きが取れないまでズタボロにしたシンの血を吸わず、何故か介抱したのである。 彼女曰く『我は人間の血を欲するほど低俗な輩ではない。全力を尽くして立ち向かった者に敬意を払ったまでのことよ』との事。 シンが完全に回復するまで介抱した彼女の言葉を、彼は半信半疑であった。 彼はその真偽を見定めるべく、狩る対象であるはずのヴァンパイアであるアイシスと行動を共にする事にしたのだ。 アイシスがその事宣言されても驚きもせず、むしろ面白可笑しく笑ったのである。 「――大体お前は全くヴァンパイアらしくない! 血を吸わないヴァンパイアが何処に居る!?」 「ここに居るぞよ?」 「それに太陽も平気、眷族もいない、おまけに俺よりも断然強い! 俺の立場や論理観がハチャメチャだ! アイシス、お前のせいで!」 そう、アイシスはそこいらに居るヴァンパイアとは全く異質な存在であるのだ。 彼女はヴァンパイアが行動できない昼間でも、ピンピンして日の光の下を悠々歩ける。 海岸に行った際には水着を着てその人形の様に整った容姿を惜しげも無く晒し、日光浴をして周囲の男どもの視線を釘付けにした。 ヴァンパイアはその赤い瞳が特徴であるが、昼間なので出歩く赤い瞳のアイシスをヴァンパイアと気づく者は誰一人として居ない。 そしてより多くの血を得るため、ヴァンパイアは自身の眷属を使って広範囲を自身の縄張りとする。 だがアイシスは眷属を誰一人、何匹たりとも保持していないのだ。 そして極めつけは、彼女は今まで自分から進んで誰かの血を吸った事が無いのだと言う! 「人間の凝り固まったヴァンパイアというのは所詮ヴァンパイアとしての血が薄いだけの滅した分家。 本来のヴァンパイアとしての純粋な血を受継ぐ我が本家の次女がそんな輩と同等に思われるとは不快であるぞ、シン」 「だったらそこいらではびこってるヴァンパイアを全部何とかしてくれ!」 「それはそなたらの役目だと言っておろうに…おつむが緩いのぉ、シン」 地面に堆積する灰の山。さきほどシンが滅したヴァンパイアの眷属たちの亡骸である。 彼らはシンを狙って襲ってきたのではなく、アイシスを狙って襲ってきていた。 アイシスが言うには、彼女の純粋たるヴァンパイアの血を他のヴァンパイアが欲している為だと言う。 人間を襲うヴァンパイアは自身の不足する血中成分を補うために吸血する。 だが、吸血を必要としないアイシスの血を摂取すれば、そのヴァンパイアは完全体となると思い込んでいるためだとか。 それだけでなく、純潔のヴァンパイアである彼女の子を手にすれば、自身の血を受継いだ血族の繁栄が可能となる。 それを目論むヴァンパイアたちは、人間の血を求めるのと並行してアイシスを手に入れようと血眼になって探している。 アイシスは当時、自身の屋敷で長女に続いて何処かのヴァンパイア血族と結婚するはずであった。 彼女の容貌は長女以上と名高く、数多くの者たちから求婚されるも嫌気が刺して逃げ出したのである。 逃げたは逃げたで彼女を捜し求める者たちが自身の眷属を使って探し回ってくる。 幸いにも、アイシス自身の純粋たるヴァンパイアの血と教育の賜物で並み大抵の相手では歯が立たないでいた。 しかし、アイシスの父親が彼女を自分の前に連れて来たら結婚を認めると宣言したためにその襲ってくる頻度が更に上がった。 「こいつらはアイシス、お前を狙ってきてる奴らなんだからテメェーで何とかしろーー!!」 さきほど襲ってきた奴らは何処かのヴァンパイアの眷属。こういった者たちが月に何度も襲って来るのだから面倒な事この上ない。 しかもそれら全てをシンにやらせ、アイシス自身は観戦に徹してシンを弄る事に精を出しているのだから始末が悪い。 「何を言う。お陰でシンの仕事の対象であるヴァンパイアがうじゃうじゃと沸いてくるのじゃ。 我の見張りと同時に行えるのだから東洋の言葉で“一挙両得”と言うのじゃぞ? ありがたい事ではないか」 「だ・か・ら・ってぇ!! 伯爵級の奴らを月に何度も相手にする身にもなってみろっ!」 「それはそれで生き残って居るのだから良いではないか。何が不満なんじゃ?」 彼女を狙うヴァンパイアが人間を本能のままに襲う者ならば、シンだけで撃退は出来る。 だが、人間が伯爵級と呼称するヴァンパイアとなれば、それは難しいの極みである。 元々より純粋なヴァンパイアの血に近い伯爵級のヴァンパイアがアイシスを狙っているのだからそれに対応するシンはとても苦労する。 夜、宿で寝れば泊り客が襲って来たり。酒場に行けば客が全員、アイシスを狙う眷属たちだったり。 ハンター仲間が集う業務施設へ行けば施設丸々ヴァンパイアの巣になっていたりetc etc… アイシスと出会い、行動を共にする様になってから早数年ちょっと。 もはや倒したヴァンパイアとその眷属たちの数を数えるのが億劫になるほどまでに上っている。 お陰でシン自身が期せずしてかなり強力なヴァンパイアハンターになるが、それでもアイシスの敵わないのである。 「あんたに勝てない事だ! ヴァンパイアとはいえ、男が女に勝てない事がだー!!」 「随分と人間本位な考えじゃのぉ…」 「うるせぇ!」 「まぁ、そなたのそんな所も我は気にいっているぞよ?」 アイシスはスススッとシンに近づき、その細い腕で彼の腕を抱きしめる。 彼女のその形のいい胸がシンの腕で押し潰され、柔らかく温かい感触がシンに伝わる。 「〜〜〜……!!!?」 「相変わらずこういう事には疎いのう、シンは」 「お、俺のかか、勝手だ!!」 アイシスのトクントクンという胸の中の鼓動も感じ、シンは声をどもらせる。 何度やっても新鮮なシンのその反応を楽しみ、アイシスは更にシンの腕を強く抱きしめて胸を押し付ける。 「〜〜〜〜…!!!!!!」 「ほれほれ、どうした? 顔から湯気が出そうな程真っ赤じゃぞ?」 いつものアイシスのシン弄り。 彼らは出会ってから今まで、お互いに変わら無いでいる関係である。 「人間を相手に御戯れが過ぎていますよ、アイシス様」 「…誰じゃ? 我の楽しい一時を邪魔する輩は…?」 アイシスの視線の先は一際高い木の先端。 そこにはマントを羽織った一人の人影が月の光を浴びて黒い姿を現している。 風で羽ばたく金細工の装飾が施されている黒いマント。それはヴァンパイアの中で一際高い地位に居る者の証。 「私の声をお忘れになられしてしまわれましたか? 私は貴方の夫に最も相応しいと誰もが認め、誰よりも多くの貢物を捧げ続けた――」 「おお、思い出したぞよ。屋敷に居た頃、訳もわからない銅像や呪い人形を贈り続けてきた迷惑千万なワイドであったか?」 「結局はうろ覚えかよ」 「仕方なかろう。 何度か中身を見てやったが奇妙奇天烈な物ばかりであったゆえ、世話係に今後送られてくる物は処分するように言い渡していたからのう。 後の事は全て処分に困っている事くらいにしか耳せんかったわい」 「――そんなに酷かったのか…?」 「あやつの趣味の悪さはかなり有名であった。 それでも我の婿候補に上がるほどの有能さは目を見張る物があってのう…我が屋敷を逃げ出した理由の一つじゃ」 「そこぉお!!? 私の華麗なる演説を聞いているのですか?!!」 アイシスはシンに腕を絡ませたまま、二人は延々と自己紹介を語っているワイドを余所にヒソヒソと話していた。 自分が無視されていると気がついたワイドは激昂して二人に向かって怒鳴る。 「おお、すまんのう。全く聞いておらんかった」 「ワリィ、聞いてない」 アッサリ謝罪する二人。 それで済んだのかワイドは咳払いをして気を取り直し、お辞儀をする。 「ま、まぁいいでしょう。この私、侯爵ワイドがアイシス様の夫となるべくこんな辺境までお迎えに上がった次第です。 御戯れはもう十分なさいましたでしょう? さぁ、アイシス様。私と共に義父上様の下へ参上いたしましょう」 「嫌じゃ。我は帰らぬと決めておる」 「今までにも私の配下の者が親告に参っているはずです。誰一人帰ってこないという事は了承したはずでは?」 「我は知らんのぉう――シンよ、そなたは何か知っておるか?」 「知ってるも何も……会いに来るヴァンパイア全部を直ぐ焚き付けて俺に倒させてたじゃねぇか」 「そうであったか?」 「そうでありましたよ!! お陰でこっちがいっつも後始末をさせてるんじゃねぇかーー!!!」 こいつはヴァンパイアが求婚してくるとあっさり拒否し、色々言って怒らせる。 そんでもってその相手を俺に任せ、自分はいつも通り観戦モードに移行していたのである。 「そうか。すまなかったのう」 「一言で全部済ませた!?」 「不満か? では、我の全てをシンに捧げようかのう?」 「アイシア様!!?」 アイシアがシンの頬に口付けしようとするとワイドが声を荒げる。 「――何じゃ。折角の誓いの接吻を邪魔するでない」 「幾ら御戯れでもそのような事を人間にしてはなりません!」 「遊んでおらん、我は本気じゃ。この者に我の全てを託す所存じゃ」 「――アイシス、テメェー…」 アイシスのその言葉に驚愕をありありとその表情に表すワイド。 シンはアイシスのその言葉に怒りを通り越して呆れの視線を向ける。 彼女はシンの肩に頭を乗せ、と〜〜〜〜ても幸せそうな表情をさせている。 アイシアはヴァンパイアとは言え、そこいらの女性とは比較にならない美しさである。 それはシンも認めてはいるが、それ以上に長い付き合いから判る彼女の考えていること。 ――こいつ、いつものパターンにワイドを嵌めるつもりだ!! そして、アイシスのこの一言で始まる。 「我が欲しくばこのシンを倒してみるが良い」 ピクリと反応するワイド。 長い前髪をかき上げ、全てが解決しました〜という表情をありありと見せつける。 「全てはアイシス様のため。私の家の栄光のため。死んでもらうぞ人間!!」 「それではもう一仕事。頑張るのじゃよ、シン」 組んでいた腕を放し、アイシスは隅へとササッと退避する。 「ちくしょ〜〜!! 絶対いつか殺ーーーす!!!」 両腕の射突武装――パイルバンカーをいつでも射出出来る様に切り替え、飛び降りてくるワイドに向かいつつシンは絶叫する。 ワイドの伸びる爪。腕の武器の表面を削って淡い光を放つ月の光の下に閃光が走り、甲高い音が鳴り響いた。 ……… ――で。 「――ハァハァ…や、やるではないですか人間」 「――ぜぇぜぇぜぇ…へっ、伊達にアイツの遊びに付き合っちゃいねぇよ」 お互いに息を荒くして対峙している。 ヴァンパイアのワイドは己の高い機動と破壊力を思う存分発揮して周囲の森を薙ぎ払い、地面を抉った。 対するシンは己の経験とワイドの大きな動きを先読みして回避し、隙あらば反撃に転じていた。 だが、お互いにお互いが決め手に欠き、二人が戦い始めて早半刻。 何時終わると知れない戦いになっていた。 「流石はアイシス様の傍に仕えているだけはありますね、人間」 「誰があんな奴に仕えるか! 俺は監視してるだけだ!!」 「何ですと!? 貴様、アイシス様にはびこる蛆虫か! それでは尚更駆除せねば!!」 「だ・れ・が蛆虫だー!!」 「何でも良いが早く終わらしてくれぬかのぉ、シン」 ワイドの勘違いに激昂するシン。 そして全く終わりの見えてこない二人の戦いにアイシスが欠伸を噛み締めて催促する。 「戦わした張本人が言うかあんのアマ〜!!?」 「アイシス様への侮辱、許すまじ!!」 お互いに別の理由で怒りを戦いの力へと昇華して距離を詰め合う。 ワイドにしては、アイシスが終わらせる相手をシンだと明言している理由も含まれている。 でも実際、ワイドの実力はヴァンパイアの中でも上位に位置していおり、それを相手にシンは互角に戦っていた。 アイシスはシンを見続けていた。出会い、行動を共にするようになってから今まで。 数多のヴァンパイアと相対するも彼は生還し、今ここに存在している。 出会った初めの頃はアイシスの少なからず手を貸し、その度に小馬鹿にして遊んでいたが、今ではそれも不要となっていた。 シンは強くなった。今では並みのヴァンパイアなどどんなに足掻いても彼には勝てないだろう。 再び激突するワイドとシンを傍目に、アイシスはシンと出会った頃の事を思い返す。 ――友達を、両親を、恋人を、彼の住む全てを奪い去ったヴァンパイアを全て滅さんとする狂気に満ちたあの瞳を…… 「――!?」 背筋が凍りつき、本能が警報を鳴らす。 アイシスは身体中に走る悪寒と共にその場を大きく離れた。 「おや、こんなにも早く私が気づかれるとは…流石は純血のヴァンパイアな事はあるな」 アイシスの細い腕を彼女の顔が苦悶に歪むほど強く掴む手。 そして直後にはためく漆黒のマント。アイシスは自分の腕を掴む後ろの人物を見るて驚愕する。 その人物こそ、彼女が元居た屋敷を出て行った最大の原因そのものであった。 「イルス!!」 「覚えられるだけの人物と認識はされてはいたか、私は。光栄だな」 「忘れるはずもなかろう! 貴様が我にしようとした忌わしき所業を!!」 イルスはアイシスの求婚者の一人。だが彼が選ばれるはずが無いと誰もが考えていた。 彼は自身の欲求に底が無いのである。己の欲望のために数え切れないほどの人間を食らい、土地を奪っていた。 文字通り、人間を“食べる”のである。それはヴァンパイアの中でも暗黙の禁忌とされている。 元々ヴァンパイアは人間を滅ぼしたいわけではないものの、人間に甘く見られない様に力の誇示をしているだけである。 そんな中でヴァンパイアハンターが狙うのはヴァンパイアの中でも軽犯罪者に部類する者たち。 イルスはその中で公爵でありながら、最も人間を襲っていると噂が耐えないのがこのイルスであった。 彼はさらなる己の欲望のため、アイシスを自身の物としようとした。 手始めに、人間の内臓を漬物にした物をプレゼントとして送りつけ、あまつさえ彼女の屋敷に忍び込んで連れ去ろうともしたのだ。 元々求婚の多さに辟易していたアイシスへの屋敷を飛び出す決定打がイルスの行動によるものであったのだ。 「そんなにお気に召さなかったのか? あれほど私が求めてやったというのに」 「貴様が求めているのは我と言う存在ではなかろうが!!」 「そう通り。用事があるのはあなたの子宮――ただそれだけです」 イルスは己が欲望の次段階に優秀な子孫を求め、アイシスの純粋なヴァンパイアの血を引いた自身の子供を求めた。 彼自身はアイシスがどうなろうと蚊帳の外であり、子供が産めればそれでいいのである。 アイシスの怒声とイルスの圧倒的な存在感に気がつき、シンとワイドは戦闘を中断してこちらを肉薄する。 「イルス、貴様ぁ! その毛皮らしい手をアイシス様から離しなさい!!」 イルスのみを目掛けて放たれるワイドの魔力の篭った真空波を、イルスはマントを羽ばたかせるという行動を取ったのみ。 それだけでマントから衝撃波が放たれ、ワイドの放った攻撃を打ち消し、あまつさえワイドさえも切り刻んだ。 「ぬおぉっ! その程度ではまだこの私をぉ!!」 切り刻まれて軽く吹き飛ばされるも、ワイドは地面を蹴って即座にイルスを肉薄しようとする。 だがその前に、シンが間に割り込んではためかせて舞っているイルスのマントを掴み、パイルパンカー装備の腕を後ろに振り上げた。 ――彼のその瞳には激情と憎しみで占められている。 「見つけたぁあああああああ!!!!」 イルスの顔面に拳を打ち込もうとするもイルスはかるく鼻で笑い、赤いその瞳を光らせる。 それだけでシンの周囲にだけ強力な重力場が発生し、彼の足が地面にめり込む。 倒れず、拳を振り被った体勢のまま堪えてはいるも、拳が徐々に下がっていく。 「こん、な程度で…お、れの、殺され、た皆の気持ち、は――!」 背中も圧し掛かる重さに丸くなっていくも、握り締めた拳をさらに握り締める。 そして圧迫されている肺に最高の息を吸い、呼吸を止めて目の前の男を睨みつける。 「おさまらなねぇーーーーーー!!!!!」 突き出す拳。それはイルスのシンを見下している顔面へと勢い良く突き進んでいく。 今まで内に秘めていたの彼の過去、ヴァンパイアハンターとなった決意を込めたその一撃は、 「邪魔だ、失せろ」 その一言で、撃ち砕かれた。 マントから飛び出た幾十の漆黒の刃。 それが全てシンの身体へと突き刺さり、貫通して背中から飛び出てくる。 頭部への攻撃は無かったもののそれ以外の肉体は串刺しとなり、突き出された拳も腕を突かれて途中で停止させられた。 「…ふん」 イルスは突き刺したマントの刃を軽々と振ってシンを投げ飛ばす。 投げ出されたシンから刃が抜け、宙を舞いながら血潮を周囲へと撒き散らす。 肺や横隔膜を刺され、刺された呻き声すら出せずに何も語らず、地面へと落下した。 「はぁああああ!!」 シンを飛ばした直後にワイドはイルスを直接切り裂こうと肉薄するも、イルスは再びマントから漆黒の刃を突き出して迎撃する。 ワイドは己がマントに魔力を込め、それを盾に刃を防ぎつつ大きく開いた爪の刃をイルスの身体へと振るう。 「っ!!?」 それも途中で停止させられる。目の前にはアイシスが、イルスは彼女を盾にワイドの前へと突き出したのである。 ワイドの空いた隙。そこにイルスは己の空いている片手を突き出しワイドの胸を突いた。 「ぐぼぁあ?!!」 口から大量の血を吐くワイド。 一瞬痙攣した彼は、突かれているイルスの腕を掴もうと両腕を持ち上げるも、その動作は鈍い。 後少しで掴めそうな所で、イルスはワイドをシンの真横へと放り捨てた。 ワイドは起き上がろうとするも力が入らず、心臓を突かれた事で自身の肉体再生のスピードが今一であった。 「――ぁ…あぁ……」 イルスの盾にされ、目の前に突き出された格好となっているアイシスは目を見開き、顔を青ざめさせている。 視線の先には、小さく蠢くワイド。そして落下した体勢のまま、微動だにしないシン。 彼らの周囲は自身の身体から流れ出る血で水溜りを作り、月の光を反射させていた。 「シンーーーーーー!!!!!!」 彼女は叫んだ。人間にしては長い付き合い。 人間よりも遥かに長い時を生きるヴァンパイアにしてみればほんの一時。 それでも共に同じ時を共有した存在のこの結末。 アイシスは涙を流す。彼女の流す、もしかした初めてかもしれない涙を。 イルスの掴んでいる腕を振り解き、即座に駆け寄ろうと暴れるもイルスの手は解けない。 力を最大限に行使しているはずのアイシスは、イルスの何らかの魔術によって発揮されていないのだ。 暴れるアイシスをイルスは逆に突き飛ばし、近くの木の幹へと押さえつけた。 そして彼はマントから数本の刃を出し、アイシスの四肢関節に突き刺して幹に固定させた。 軽く苦悶の声を上げるアイシスだが、ヴァンパイアはこの程度の傷は即座に治せるため問題は無い。 「あの人間に随分入れ込んでいたようだな。だが、もう助かるまい。 脆弱なる者の内臓は最早ズタズタ。血も即座に生成出来ないのだからな、あっけないものだ」 「貴様がやったことであろうが、この下衆め!!」 「あなたにどう思われ様とも私には関係ない。 これからあなたは私と交わり、カオス(混血児)と純血とのハイブリット(両性児)を生んでもらうのだからな」 アイシスの激昂を毛ほどにも気にかけないイルス。 彼は彼女のドレスのスカートの中へと手を弄り、下着を剥ぎ取る。 その間に彼は舌を彼女の綺麗なうなじへと這わせ、アイシスはその感触に怖気を感じる。 女への配慮の無い、一方的な行為。己のためのみに、他のモノへの迷惑を顧みない厄災。 それがイルスという“カオス(混血児)”となった存在である。 昔、人間を食したヴァンパイアはその人間の生命力を丸ごと奪い、数多の人間を手にかけたそのヴァンパイアは同族にまで手をかけた。 人間の短命ながら生きようとする力は食した単体では僅かな活性剤なだけだが、多くの人間を食したそのヴァンパイアは脅威であった。 そのヴァンパイアを倒すのに、ヴァンパイアの同族たちは数多くの同胞を失ってしまう。 さらにその出来事によって人間から完全に敵対されてしまい、人間とヴァンパイアとの確執を確固たるものにされた。 そして今、アイシスを木に張り付けているイルスは己が欲望と繁栄のために、その禁忌に手を掛けたヴァンパイアの異端児。 災厄の再来と、人間とヴァンパイアに危惧される存在である。 「貴様の子を産むのならば、死んだ方がマシじゃ」 「それは無理だ。舌を噛み切ろうがヴァンパイアはその程度で死にはしない。 なに、生き続けられるように安全な部屋を用意してやるから安心しろ」 悔しさに歯噛みをし、イルスを睨みつける。 四肢を突かれ、己が力すら発揮されない今はどうしようもなく、されるがままで悲しくもあった。 イルスの向こう側を見る。起き上がれないワイドと全く動かないシンの姿に再び一筋の涙を流して顔を伏せた。 イルスはアイシスのその表情を愉快気に眺めて、行為のために動き出す。 ――― ゛シンーーーーーー!!!!!!" 自分の名を呼ぶ声に、薄く目を開けた。 瞳に映し出されたのは、地面に広がる赤い水。それが血だと直ぐに気がついた。 そして少し視線を上げるとそこに見えたのは木に張り付けられ、憎き男に覆い被されられていた。 忘れられない、忘れるはずも無いあの時と同じ光景。 焼かれる周りの家々。自身の上に覆い被されている焼死体。そして周りに広がる血の湖。 のしかかる死体の重さと、力の入らない幼い自分は見るしかなかった。 漆黒のマントを羽織った男が大切な母親を木の幹に張り付け、悲鳴を上げる母親を生きたまま食べられていくのを。 自分は助かった。焼死体は食べるに値せず、周囲のむせ返るほどの他人の血のお陰で見つからなかった。 自分は生き残った。あの時は。 でも今は、助からない。今度は自分の血が湖を作っているのがわかっているから。 違いはそれだけ… … ――それだけだろうか? 視線を上方へと向ける。そこには苦悶しているワイドの姿。 視線を再び前へと向ける。男は背中を見せ、しばらくの間行動を共にしたヴァンパイアの女を幹に押さえつけている。 彼女と出会うまで、ヴァンパイアは全てあの男と同じ存在とだけしか思わなかった。 事実、自分が討伐してきたヴァンパイアは皆、そういう奴らばかりであった。 でも違った。彼女は違った。そして聞いた。全てがそういう存在ではない事を。 人間の中にも善悪はあり、動物たちの森を侵食している。 ヴァンパイアと同じ。だから、確かめようとした。彼女を見続ければわかるかもしれないから。 憎しみの相手は未だに変わらなかった。でも全てのヴァンパイアはそうではないのなら、これからの自分のあり方に違いがあると思うから。 そして今、その憎しみの相手が彼女に覆い被さって此方に“背中を見せて行為に集中”していた。 「――おい…ワイドとかいう、やつ」 「――何だ人間。私は今、人間とすら話しているほど余裕は無いのですよ」 お互いに苦しいながらも、声は出せていた。 シンに関しては出血多量で声を出す際の血を吐くだけの血がなかっただけである。 「俺をあのヴァンパイアの男の所まで連れて行け」 「何をするつもりですか? 人間ごときがあのカオスを倒そうとでも…?」 「当然だ」 俺は宣言する。笑みを作ろうとするが、上手く動かせず軽く口の端が釣り上がっただけだった。 ワイドはこちらに目を向け、俺の悲惨な状態を見て無理だと言わんとする表情をありありと見せてくる。 「アイツは俺の大切なモノを奪った。俺はこのまま死ぬだろう。だがその時は、アイツも一緒に連れて行く…!」 最後の言葉に力を少し入れたため、まだ体内に残っていた血を吐血する。 もはや残された時間は殆ど無い。今やらなければ自分はあの時と何一つ変わらなかったまま死ぬ。 死んでも死にきれない。このまま死んだ仲間や両親の下へ行くのは真っ平ご免だ。 「テメェもこのままアイシスをアイツに奪われてもいいのか―――この根性なしヴァンパイア」 「………いいでしょう。私とてイルスなどにアイシア様を好きさせるつもりはありませんしね」 「――決まりだな」 開いている拳を軽く動かす。僅かだが、反応も感触もある。 それで十分。あとは自身がどれだけ残された体内血液で筋肉を動かせるかどうかだけ。 勝負は一回こっきり。それ以上も以下もない。一撃で仕留めるのみ。 「人間。その勇姿に称え、あなたの名前を聞いておきましょう」 「冥土の土産か? 俺はシン、それだけだ」 「シン、ですか。アイシア様に仕えた人間として私の武勇伝に載せてあげましょう」 「貴様がアイシスの変なプレゼントをして逃げられた事も忘れるなよ?――んじゃ、やってくれ」 ………… 「イルスーーーーー!!!」 「!!?」 イルスは後少しでアイシスと繋がる所で聞えてくる叫び声に驚いて背後を振り返る。 そこには飛んでくるワイドの姿があり、行為に没頭していたため気づくのに遅れ、かなりの接近を許してしまっていた。 「そんな手でアイシア様に触るなぁあああ!!!」 「折角助かるだけの時間を残してやっとというのに……そんなに死にたいらしいな!」 イルスも行為の邪魔をされ、怒気を露わにしてワイドを睨みつける。 ワイドはそれでも突進し、一気にイルスの懐へと潜り込んだ。 両手を振り被り、イルスを切り裂くべく振り上げる。 「なんの捻りも無い攻撃など、この私に通用しない!!」 マントからアイシスを突き刺しているのとまた別な刃がワイドの腕を突き刺し、腕の動きを止める。 ワイド自身へも伸びるも、マントに弾かれて巻きつきにかかった。 マントに弾かれたのは先ほどと同じであり、それを踏まえてのそれは動きが速かった。 「小細工など必要ない!」 ワイドは突き刺された腕に力を込め、自身で腕を裂きつつイルスの刃から脱出する。 ヨレヨレの所々裂けた紙のような両腕を振るい、巻きつこうとした刃の根元を切り裂いて防ぐ。 その動きでマントの中ががら空きとなり、イルスは無駄な抵抗をするワイドにトドメを刺すべく腕を伸ばす。 「消えて無くな――っ!!」 伸ばされたイルスの腕を掴む血塗れの手。 ワイドのマントの中から伸ばされたその腕に、イルスは初めて驚きで動きを止めた。 マントから飛び出す人影。動きが止まっているイルスはそれに対応する時間を失っている。 「それは――貴様だ!!!」 ワイドの術によってマントに隠れていたシンは掴んでいないもう片方の腕を伸ばし、イルスの胸部へと拳を叩き付ける。 ぶつかる拳は相手の胸にめり込み、その腕に装備されているパイルバンカーはその特性に従い、杭が射出される。 射出された杭はイルスの胸を突き、突き入り、貫通する。 杭は完全にイルスの心臓を突き破り、杭は突然のワイドの特攻に唖然としているアイシスの目の前で止まった。 刹那の静寂。射出された摩擦熱でパイルバンカー本体から発生する水蒸気の音が鳴るのみ。 「に、んげん、ごとき、が……!!」 イルスの皮膚が剥ぎ落ちていく。異端児となってもイルスはヴァンパイアなのだ。杭を打たれれば灰となる。 肉体も崩壊を始め、筋肉が千切れる音と共に自身を死へと追いやった人間――シンの腕を掴もうと動く。 だが、それよりも先にシンの身体が地面へと崩れ落ち、イルスの腕は空を切るのみだった。 イルスは尚も何かを喋ろうとするが、その前に自重に耐えられなくなった肉体が崩れ落ちてしまった。 崩れた肉体はボロボロと細かく分解し、灰となって吹かれる風に飛ばされる。 ヴァンパイアと人間の双方の種族に厄災の再来と囁かれた者の呆気ない死に様であった。 「――っぁ…」 ワイドはイルスが完全に灰となるのと同時の倒れて呻く。 始めにイルスの攻撃をされた胸の再生が終わらぬ内の戦闘行動と、新たな腕の損傷に立つだけの体力を消耗し切ったのである。 その声を聞いたアイシスは正気に戻り、倒れこんだシンへと即座に駆け寄った。 彼女を刺した刃も消滅した事で、彼女自身の治癒で既に動けていた。 うつ伏せに倒れていたシンを急いで上を向かせて抱き起こす。 彼の顔は既に青を超えて白い。心臓も辛うじて動きを止めてはいなかった。 「――空け者が……」 顔を歪ましてアイシスは腕の中の人間を罵倒する。 だが、返事は返ってこない。少し前までのあの元気に返される声が。 目は伏せられ、なんの反応もしない彼の身体は冷たい。 彼の身体と服を染めている血は既に凝固し、抱いているアイシスの身体には付着しないでいる。 それはつまり、出せるだけの血は既に抜けきっている事を示していた。 動かせるはずもないその身体をこの人間は。シンは。狩る対象であるヴァンパイアのアイシスを助けた。 ただ単にイルスを殺すために動いただけなのかもしれない。 でも彼女に向けられた、彼の身体が崩れる寸前に向けられた自分への優しい視線は違うと感じた。 ゛ありがとう、元気でな" そう感じた。 「――この、どうしようもない空け者が……」 シンの顔に自分の顔を近づける。そしてそのまま口付けを交わす。 アイシスは舌をシンの口へと潜り込ませ、舌を絡め取る。そして自身の牙を突き立て、差し込んだ。 「……んっ、ちゅっ…」 アイシスのきめ細かな金色の髪が彼らの顔を覆う。 シンの身体と顔をしっかりと抱きしめ、恋人の甘い一時のように二人は口付け。 一方的ではあるが、彼女はしっかりと彼を抱きしめていた――。 ………… ………………… 「ほれほれ。恥ずかしがる事は無いぞ、シン。なんせそなたは我の下僕となったのじゃ。 下僕が我の為す事をいちいち恥ずかしがっていては意味が無かろうぞ」 「だ・れ・が下僕じゃーーー!!」 「我はシンに血の大半を分け与え、そなたは生き返ったのじゃ。 お陰で我の力は弱まり、シンは我の下僕として我の力が戻るまで守るのは当然の義務じゃ」 「誰も助けろとは言ってねぇ!! つーか何で俺は日の光の下で動けるんだ!!」 「それは当然じゃ。我はシンの血を吸ったのではなく、分け与えたのじゃ。 我のヴァンパイアの中でも日光を浴びても動ける特性がそなたにも備わったというのは道理であろう?」 太陽が地上を照らし、心地良い風がなびく森の道。 その道を歩く二人の男女。男はシンであり、女はアイシスである。 彼らは次の街へと向かい口論しつつ歩いていた。 今までと変わらない会話をする二人。変わらない二人だが、変化はあった。 あざ笑うアイシスに大口を開けて悶絶をするシンの口からは異様に伸びた犬歯。 そう、彼はヴァンパイアとなったのである。 あの時のアイシスの口付けは、アイシス自身の純血の血を与えるための行為であった。 噛むのは一般的にも首筋であるが、この行為自体が分け与えるという特殊な儀式だったため違ったのだ。 ヴァンパイアの血そのものは強力な魔力を有し、人間の中では不老長寿の血と呼ばれている。 その中でも純血種であるアイシスの血は死に体のシンの命を繋ぎ止めるだけでなく、アイシスと同じくヴァンパイアにしてしまった。 アイシス自身もシンがヴァンパイアとなった事は驚きであったが、同時に嬉しくもあった。 悠久に近いヴァンパイアとしての生を、生きられるかもしれないためである。 さらに言えば、シンはアイシスと同じく太陽の下でも生きられ、常にアイシスと自由な動きを取れるのも嬉しい誤算であったのだ。 その代償として、彼女自身が大量に血を失った影響で暫くは魔力が著しく低下してしまっているが、彼女には大した問題ではなかった。 「特に問題はなかろうが。むしろ身体能力はヴァンパイアと同等となり、今まで以上にハンターとしての活動がし易くなったではないか」 「ヴァンパイアを狩る俺がヴァンパイアになって、ヴァンパイアの俺がヴァンパイアを狩る。すっげぇー矛盾してないか?」 「盛大に矛盾をしておるのう」 「うぉっ、やっぱしー!!」 「気にする必要もなかろう。人間を襲うヴァンパイアは基本的にこちらも迷惑をしておる輩ばかりじゃ。 それに金が手に入るのじゃ。仲間の悪を撃ち砕き、正義を貫く!…いい響きではないか」 アイシスの励ましを受けるシン。 ヴァンパイアの仲間入りを果たしたシンはどう思えばいいのか内心かなり複雑である。 「ようこそ、私たちの新たなる同胞であるシン! 私はあなたを歓迎します!!」 何処からともなく聞えてくる声。 そして「とぉっ!」という声とともに二人の進行方向上に一人のマント男が降り立った。 「ワイド。そなたはまだおったのか」 「私はアイシス様をお迎えに上がったのは今でも変わりません。 あなた様と共に義父上様の元へ参上し、結婚したいという思いも変わりません。ですが今は!!」 突然現れ、大袈裟な動きをする目の前のヴァンパイア――ワイドはシンをビシリと指を指す。 ちなみにワイドもアイシスほどではないが純血に近い家系であり、太陽は平気である。 「アイシス様を救った英雄であり、新たなる同胞の誕生に免じてしばらくアイシス様とともに一足早い結婚旅行の下見をしようと考えた次第で御座います!」 「それは残念じゃったな。我は既にシンと契りを交わしている」 紳士的な振る舞いをしていたらしいワイドはビシリと固まった。 石化というのはまさにこういう事なのかと言わんばかりの固まり方である。 「――んなもんいつやった…?」 「我がシンに血を分けた時じゃ。我はシンに口付けをして血を分けてやったじゃぞ。 残念じゃったのぉ、ワイド。そなたの回復がもっと早ければ我らの契りを見届けた唯一の存在となれたものを」 アイシスはシンの肩に自身を預けるように寄り添う。 シンは不覚にも、アイシスのその行動で舞った金髪の匂いとそのサラサラとしたきめ細かさに一瞬見惚れてしまった。 逆にワイドは固まっていた身体をぷるぷると振るわせ、怒気とも怨念とも嫉妬とも言えるオーラを放つ。 「ちょっと待てワイド。アイシス、それはお前が勝手にやった事だろうが!!」 「ほれ、シンも我の事を『テメェ』や『貴様』から『お前』へとランクアップしておるぞ」 「んなもんが何の証拠にな――」 ユラリと動き出したワイドはシンの肩にポンッと手を乗せる。 その軽さに似合わず、肩を掴む力はシンの肩にめり込むほどであった。 「残念ですよ、新たなる同胞シン。今ここであなたという存在が消えるのは本当に残念だ」 「待て、お前は絶対に勘違いをしている」 「まだ言い張るか。我はシンに全てを捧げると言っておるのにのぉ…」 シンの腕を抱きしめ、首筋に口付けをするアイシス。 そして顔を赤らめて肩に頭を預けるその仕草のコンボはワイドを絶対なる行動へと誘った。 「それではさようならをしようじゃないか、シン!!!」 「ああもう!! さよならをするのは貴様だ、ワイド!!! アイシスも後で覚えてやがれーーーー!!!」 ワイドとシンの戦いが再び勃発。 抱きしめていたはずのアイシスの腕がシンからアあっさり外れたのは、やはり彼女が確信犯でやったからであろう。 二人が散らす火花を目の前に、アイシスは戦っているシンを見て微笑む。 「我は本気で、我の全てをそなたに捧げるつもりじゃぞ――のう、シン?」 アイシスはシンに聞えていない事を承知で呟いた。 だがその言葉の真意が彼女の中で確かなモノであったかどうかは、彼女自身しか知らない―― 良く晴れた青空の下で、二人のヴァンパイアと新たなヴァンパイアの三人が世界を行く。 この世界の因果の中で、三人は今という時間を過ごしている。 これから続くであろう、長い命の灯火を照らして。 Fin |
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